会津盆地西部地区の農業 - 067/100page

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2.堰(せき)を造る

 (1)堰の役わり

 「昔,一人の旅人が,高田の里(むら)を朝飯(あさめし)の炊(た)くころに通りかかりました。飯の香りにさそわれ,一口食べてみると,そのおいしさは尾張(おわり)や美濃(みの)(今の愛知(あいち)県と岐阜(ぎふ)県のあたり)の特上米(とくじょうまい)が実る村里の飯の味にも負けないほどでした。旅人はたいそう感心し,奥州(おうしゅう)(東北地方)では高田が米のおいしさでは一番であるとほめたたえました。」

(「桜の栞(しおり) 雑の巻」の一部を現代訳)

 この話のように,会津は昔からおいしい米の産地として知られ,現在まで長い米づくりの歴史を持っています。そのわけとして,この地域は盆地のために,気候や養分(ようぶん)のある土地が米づくりにてきしていることがあげられます。そして,豊かな水量を持つ川にめぐまれていたことにより,米づくりがさかんに行われてきたのです。

 阿賀川や宮川を始めとする主な川には,ところどころに川の水をせき止め,かんがい用水として利用するための堰が造られています。季節や天候におうじて,堰に貯まる水の量を調節(ちょうせつ)し,米づくりに必要な水をいつも同じように流すことができるようにしています。
 これらの堰は,昔から農民が,あれ地を切り開いて新しい田や畑を作るためや,干(かん)ばつから自分たちの田んぼを守ろうとして苦労や工夫を重ね,力を合わせて築(きず)いてきたものです。最近は農業の機械化が進み,農作業の様子も昔とはずいぶん変わりましたが,堰は改修工事をくり返しながら,今でも大切に使われ続けています。

 このような堰は,「頭首工(とうしゅこう)」ともよばれ,4町村には大小あわせて40か所以上あります。水利組合や土地改良区で維持管理(いじかんリ)をしながらかんがい用水として利用したり,一部はわたしたちの生活に役立てられています。


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