鮭立磨崖仏 - 044/135page
E ― 飯豊山祠(いいとよさんし)(いいでさんし)
飯豊山は、修験道の開祖とされる役の小角(えんのおづぬ)が霊夢によって開いたと伝えられる会津、出羽、越後にまたがる当地方の修験道の中心地でした。五社権現(五大虚空蔵の仮りの姿である垂迹神=すいじゃくしん)をまつり、奥の院があり総じて飯豊山大権現といいました。
農民の信仰をあつめていた山で、昭和二十年頃までは、村の青年たちの代表が身を清めたのち、白衣、白袴、白脚絆という白装束に身をかため、金剛杖を手にして登山するのがならわしでした。先達という案内人に従って各拝所をめぐり、本殿で神酒と神札を頂いて下山しました。
当地では鮭立と隣りの藤倉の代表が三日ほど不動堂にこもり、朝晩百回の水垢離をして身をきよめました。登山の日は、隣り部落の代表と合流して西方、野沢を経て一之木口から入山しました。当時はマイカーもないので膝栗毛です。帰りは若松へでて柳津まで汽車に乗り終点の柳津からは歩いて帰村し各戸にお札をくばったものです。
飯豊山の文字をほった石塔は各地でみられますが、金山町の西谷の文字塔は只見川を背にして国道のそばに建っているので、すぐ目に入ります。
鮭立の磨崖仏では、お札を納められるように箱型に彫りこんであります。