下野街道(南山通り) -046/109page
第五章 街道と埋蔵文化財
第一節 大内峠の茶屋跡
一.陶磁器(陶磁器1〜12)
陶磁器は、第1図1(四角囲み)〜第12図1(四角囲み)の66点を図示または採択した。 基本的には陶器と磁器に区分し、さらに器種別・生産地・施釉別 に分類した。器種は碗(飯碗・湯飲み碗)・皿 (大皿・中皿・小 皿)・ひょうそく・仏飯器・鉢・徳利・そば猪口・盃・甕・蓋 物・花生・すり鉢などに分類される。生産地は、肥前系・会津本 郷系・生産地不明が確認された。施釉法は呉須・コバルト・錆 釉・鉄釉・自釉・灰釉・鋼線釉・透明釉などが確認され、さらに 草花文・風景画・昆虫文などの絵付けがある。図示した陶磁器は、すべて破片で約1/3から1/2の遺存状況であ る。各遣物の詳細については観察表を参照し、計測値は主に遺存 長や推定値を使用した。
各陶磁器を観察すると、峠の茶屋で使用したと考えられる日常 雑器が多く出土している。破片数については表示しなかったが、 出土状況から被損品を周辺に投棄したと考えられる。また、器酒 については碗(飯碗・湯飲み碗)が多く、徳利や盃は少ない傾向 が看取される。
二.銭 貨(銭貨1〜4)
銭貨は、総数で66点が出土している。各銭貨の計測については 表1〜3に記録した。また、観察については兵庫埋蔵銭調査会が 発行した『日本出土銭総覧一九九六年版』を参考にした。近世の銭貨は,出土した銭貨の中で九割を占めている。主に寛 永通宝が中心で、他に文久永寶・一分銀・一朱銀などがある。寛 永通宝は寛永一三(一六三六)年から明治二(一八六九)年までの約二 四〇年間にわたり鋳造・流通した貨幣である。時代的には、大き く三期に分かれ、一期の古寛永は、寛永一三(一六三六)年から万 治二(一六五九)年、二期以降を新寛永と称して寛文八(一六六八)年 から天和元(一六八三)年、三期は全国各地で鋳造された元禄一〇 (一六九七)年から延享四(一七四七)年及び明和四(一七六七)年から 天明元(一七八一)年である。特に三期で鋳造地は全国に及び、そ の種類も千種類以上が確認されている。時間的な制約から、詳細 な分類は困難なために、参考として計測一覧と表・裏(背)面の 拓本を掲載した。
この他に、明治一九年と大正九年の一銭銅貨を図示した。
三.石製品 (陶磁器12)
石製品は砥石・規を含めて3点を図示した。砥石は、置き砥・ 持ち砥・阻砥・中砥・仕上げ砥に分けられる。小型なものから大 型のものまであり、表面には使用痕も観察される。形態的には中 型から小型なものが多く、石質はすべて細粒凝灰岩である。