▲昭和19年度の卒業写真
じゃりせおい作業▲
4)せんそうがあったころ―55年ほど前―
みほさんのおばあさんが子どものころ、わたしたちの国は、世界中を相手に大きなせんそうをしていました。
おばあさんは、そのころの話をよくしてくれます。
みほさんのおばあさんの話
わたしたちが小学生のころ、日本は世界中を相手にせんそうをしていました。下郷町は空しゅうにあうことはありませんでした。でも、サイレンがなると、近くのぼう空ごうににげこみ、夜空をまつ黒になってとんでいくアメリカ軍のひこうきを、不安なきもちで見おくっていたものです。
また、食べ物も十分ではなく、着るものや学用品などは、ほんとうにそまつなものでした。東京の方から、そかいしてきた小学生は、わたしたちより食べ物が少なく、いつもおなかをすかしていました。