わたしたちのきょう土 下郷町-085/116page
3.きょう土をひらく
(1)用水路をつくる
1)円蔵ぜき
下郷町倉村ふきんの国道を車で走っていくと、道路のわきや下の方に水が流れているのを見ることができます。これが「円蔵ぜき」とよばれる用水路です。この用水路は、倉村から楢原にかけての水田に水をひくためのものです。
ア.せきができる前のようす
○土地のようす
下郷町の倉村から楢原にかけて、山ぞいに水田が開けて豊かに稲が実るすがたを見ることができますが、ここは、むかしはかやなどが生いしげったあれ地で、ところどころに田や畑が作られているだけのまずしい土地でした。特に田が少なく、わずかに今の7パーセントしか作られていませんでした。
○人々のくらし
1837年の倉村の農業生産物の表を見ると、米はあまりとれず、畑で麦やあわ、ひえ、そはなどを作っていたことがわかります。
また、同じ年の倉村の収入の表を見ると、米の収入はなく、たばこや紅花を作って売ったりやねふきをしたりして収入を得ています。米が足りないため、収入のほとんどは米を買うために使われたそうです。
▼せきができる前の土地のようす(そうぞう図)
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