舘岩村要覧 -026/028page
あえて舘岩を交流都市と呼ぼう。
ヘルシーランドたていわ発!
舘岩型交流の発想による出会いと賑わいの街づくり。
ありがとう、みなさま。 舘岩村は、1984年(昭59年)に自然健康村(ヘルシーランド)を宣言しました。わたくしたちの道しるべである村民憲章の制定にあたり、その精神にのっとる健康で活カのある村づくりのための、村民総ぐるみ運動の展開宣言でありました。
当時の目本列島はバブル時代前期。経験が役にたたない時代の到来と騒がれ、その経済社会の急激な変化によって、地方の過疎化は一段と進んでおりました。そのような厳しい環境にあった山里・舘岩村に、しかし「郷土の夜明け」を暗示する目の醒めるようなできごとが、いくつか発生しました。
その第1は目本海と東京を結ぶ最短ルートとして1974年(昭49)の中山トンネル開通が可能にした、81年(昭56)の会淳路初のたかつえスキー・リゾート創出。東武鉄道参画による、当時では珍しい第3セクター方式でした。86年(昭61)には同じく第3セクターによって父祖三代の悲願であった会津鬼怒川線を実現して、舘岩村の玄関口・会津高原駅も開設され、待望の南会津〜首都圏直結時代を招来します。
そして忘れ得ないのは、81年(昭56)の埼玉県大宮市による少年自然の家の建設と舘岩自然の教室のスタート。翌82年(昭57)には友好都市を締結する運びとなり、今日、農山村地域づくりのテーマである「都市との交流」の先駆けとなる貴重な体験を重ねさせていただきました。それはグリーン・ツーリズムのいち早い実践であり、村里コミュニテーも、伝統の風俗も、郷土料理も、次々とスポツトを浴びて活性化していきます。
それは、郷土・館岩の個性と魅力を再発見する日々。昔ながらの緑豊かな山河と村里の床しい民俗が、珍重とさえ言える地域資源として、都市と共感・共鳴しながら共有するための創意が凝らされてきたのです。
そして、第1回の大分県湯布院町に次いで、87年(昭62)の国土庁主催の第2回農村アメニティコンクール「おらが村が日本一住みよい村」に認定されるなど、やすらぎとうるおいのある「ヘルシーランドたていわ」の村づくりの理念と歩みがゆるぎないものとなっていきました。
今日、交流都市機能の集積による地域構造の強化が叫ばれています。わたくしたちはすでに、滞在活動基地「会澤高原たかつえ」の創出により、野趣溢れる湯ノ花と木賊の温泉郷とネツトワークし、得がたい大自然をステージとする「出会いと賑わいの街」、つまり交流の発想による地域づくりに挑んできました。これらの試みは、いずれも時流に先駆けた「ゆとり空間」創出のオリジナル・ワークであり、強烈な「自分志向型」であります。
ここに、わたくしたちの郷土づくりの執念にご理解とご協力・ご支援を賜り、「ヘルシーランドたていわ」の健全な発展を希う熱い情熱をお寄せいただきました皆様に対し、衷心より厚くお礼を申し述べさせていただきます。
夢多き新世紀を目前にした今、わたくしたちは、「ヘルシーランドたていわ」の個性と魅力に満ちた「ゆとり空間」を都市社会に向け発信しながら、皆様への感謝のメッセージといたします。これまでより以上のご協カ・ご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
村長 星光芳 助役 芳賀恭助 収入役 星定利 教育長 堀金良臣 議長 君島茂雄 副議長 星光雄