秘境檜枝岐 - 002/013page
口留番所跡(くちどめばんしょあと)…………江戸時代の検問所
檜枝岐村は会津と上州を結ぶ要所の為口留番所が置かれた。番所の起源は天正年間(一五七〇年代)に、吊越後(ほしえちご)・星備中(ほしびちゅう)が関守となっており本当に番所機構が整備されたのは寛永年間(一六〇〇年代)からで、街道には高さ約三米横約四米の木戸門を造りその左右には六十本の棚を立てて通行出来ないようにし、木戸門のそばに番所が置かれていた。番所の目的は、八品留物(はっぴんとめもの)といって、女・巣たか・蝋・駒・漆・熊皮・紙・鉛などの領外への流出を防ぐ為でその他の留物はその都度役所から通達された。幕末には留物の取締よりも治安を守る役目に変り明治維新以後は番所の建物も取りこわされた。