相馬市市勢要覧 -004/050page
相馬市40年のあゆみ
ぷろふぃーる
絶ゆまぬ流れのんばかで
相馬市の歴史は古く、その形は椎木北原遺跡の 旧石器時代の遺物にあらわれています。さらに、 成田、坪田、馬場野地区に点在する古墳の人物埴 輪や太刀飾などの出土品から、有力な豪族が住ん でいたことがうかがえます。
海と緑の城下町中世には、垣武平氏相馬師国(もろくに)の子相馬師常(もろつね)が奥 州合戦に従軍し、その功により相馬氏がこの地方 を治めました。この相馬氏は本拠を下総(千葉県 流山市周辺) においていましたが、六代相馬重胤(しげたね) が元享三年(一三二三)に当地方に移住しました。
時は移り、江戸時代初期の慶長十六年(一六一 一)、十七代相馬利胤(としたね)が小高城(相馬郡小高町) から中村城を居城としたことで近世城下町が形成 され、ここから本市の発展が始まっていきまし た。町づくりは、町の南と北の入口に土手を築い て、「枡形」とよばれる城下町独特の道路形態を つくりあげました。旧中村城下の北東部(現在の 新町・田町境)と南東部(現在の北反町・寺前境) に今もなお残っており、当時をしのぶことができ ます。
このように相馬氏は、鎌倉時代初期から明治維 新に至るまでの約七百年間、当地方を支配してき ました。この間に育まれた文化と伝統は数多く、 中でも相馬野馬迫や相馬民謡は全国的に知られて います。
今、本市は、長い歴史に培われた文化と伝統を 基盤に、「海と緑の健康都市」をめざし、二十一 世紀へと飛躍する新しいまちづくりに励んでいま す。人口約四万人。その表情は、西に阿武隈の山 なみ、東に太平洋があり、中部と東部に広がる平 坦地を地蔵川、小泉川、宇多川、日下石川の中小 河川が東に流れています。また、小松島といわれ る景勝地松川浦があります。
気候は、東日本型の海洋性気候に属し、冬期も 温暖で降雪も少なく、気温の年較差は県内他地域 と比べ比較的小さく、さわやかで過ごしやすい地 域です。海・山両面の美しい環境と、それに育ま れてきた海の幸、山の幸を新鮮なまま口にするこ とができ、相馬市は、まさに「自然の宝庫」とい えるでしょう。