のびゆくそうま-137/148page

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◎ 二宮仕法によって人々の生活はどのようにかわってきたか調べましょう。
二宮仕法が打ち切られるまでの約30年間にたくさんの成果が見られました。
田が広がり、米の生産、そのほかの農作物もふえました。きょう作の年にそなえて米倉も新しく作られました。人口も多くなり、人々のくらしもよくなってきました。
どのようにかわっただろう。
どのようにかわっただろう
二宮仕法が行われたころ
できごと
1783 天明の大ききんがおこる。(冷害、台風などが毎年続き、藩はお金がなくなる。)
1787 二宮尊徳、生まれる。
1814 富田高慶、生まれる。
1831 富田高慶、江戸に出て勉強する。
1836 天保の大ききんがおこる。(冷害が続いていて、この年は特にひどかった。)
1839 富田高慶、二宮尊徳に入門する。
1845 成田坪田村で仕法始まる。
1847 そのほかの村でも仕法が行われる。
1856 二宮尊徳なくなる。
1872 相馬藩がなくなり、県となる。
1890 富田高慶、なくなる。

二宮仕法の結果 (相馬藩…相馬市、原町市、相馬郡などで)
新しくできた田 2,000ヘクタール
ため池 192か所
増えた家の数 1135戸
増えた人口 21715人
増えた年貢 102,872俵
こく物倉庫(非常の時) 52棟

(仕法役所調ベ………「相馬市史」)

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