のびゆくそうま-139/148page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

(2) 新しい地いきづくり

◎ 相馬地いき開発は、どんな願いを持ってはじめられたか調べましょう。
今から40年ほど前に、中村町を中心に1町7村が集まり、相馬市になりました。この時の人口は43,000人ほどでした。ところが、その後少しずつ人口がへっていき、25年前には37,000人ほどになってしまいました。相馬市は農業が中心でありましたが、農業の機械化がすすむとともに、人口がへり、出かせぎに行く人も見られるようになりました。
そこで、相馬地方の工業をさかんにすることによって、これらのことをなくそうと考え、地いき開発の計画が立てられました。
相馬港をととのえ、近くに工業団地を作り、新しい工場ができるようにと考えました。
このことにより、はたらくところができ、出かせぎに行かなくても、一年中はたらくことができ、人々の生活も向上し、人口もふえると考え、計画が作られました。
相馬市の人たちはどんな願いをもっているのだろう。
相馬市の人たちはどんな願いをもっているのだろう
相馬港と工業団地の開発は、相馬市、新地町、福島県、国などが協力して行われています。工業団地は相馬港に面した東地区と西地区があります。
◎ むかしは工業団地やそのまわりの土地はどのようになっていたか調べましょう。
20年前と80年前の地図を比べてみましょう。

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は相馬市教育委員会に帰属します。
相馬市教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。