わたしたちのまち新地-130/146page

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せんそうのあったころ(50年前のころ)
 2はんの人たちは,せんそうのあったころのことを発表しました。
 「昭和20年の8月に,駒ヶ嶺の干拓にあった塩をとる工場や,その近くの家は,アメリカぐんのひこうきによってばくだんをあびました。この空しゅうで,人がなくなったり,たてものがもえたりしたそうです。」
 「夜中に仙台市がばくげきされたときは,ばくだんの音でまどガラスがこわれるぐらいの地ひびきがあり,新地町の空までまっ赤になり,とてもおそろしかったそうです。」
せんそうのころのようす

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