わたしたちの町 双葉-060/071page

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(3)双葉町のうつりかわり(歴史年表)
西れき 年号 双 葉 跡 の お も な で き ご と
1872
1873
1882
1889
1897
1898
1911
1913
1921
1923
1926
1929
1939
1945
1948
1950
1951


1952
1953
1954

1955
1956



1958
明治5
6
15
22
30
31
44
大正2
10
12
15
昭和4
14
20
23
25
26


27
28
29

30
31



33
・新山村にゆう便局ができた。
・村に小学校がつくられはじめた。
・新山村大火事がおこり、156けんもの家がやけた。
・小さな村があつまって、新山村、長塚村ができた。
・村にはじめて銀行ができた。
・鉄道が開通した。(このころは長塚駅とよばれた)
・このころ、電話があったのは3げんだけだった。
・新山村が新山町になった。
・双葉にはじめて電灯がついた。
・今の双葉高等学校ができた。
・大かんばつのため、雨ごいをした。
・長塚村に大火事がおこり、62けんの家がやけた。
・この年から、わたや石油、ひりょうなどが不足し、はいきゅうせいとなる。
・くうしゅうで4人がなくなり、家もたくさんなくなった。
・しねは中学校ができた。
・前田川がけっかいして、こうずいになった。
・新山町と長塚村が合併して、しねは町がうまれた。
・長塚にしねは保育園ができた。
・消防だんができた。
・役場のちょうしゃができた。
・長塚小学校の寺沢分校が開かれた。
・はじめて町えいじゅうたくがつくられた。
・だい1回町民たいいくさいが開かれた。
・前霞の大スギが県のてんねんきねんぶつにしていされた。
・町の名が双葉町になった。
・学校名も双葉北小学校、双葉南小学校、双葉中学校とかわった。
・しねは保育園も双葉傑育園とかわった。
・ほとんどの家に電灯がついた。
・中野と両竹が双葉町にはいった。

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双葉町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。