ならはの絵馬−村人の祈り−-005/036page
5.鎮西八郎為朝図 天明6年(1786) 上小塙 木戸八縄神社(目録4)
源為朝闇平安末期の武将で、身体巨漢で性は剛気、弓術にひいでていた。通称八郎と呼ばれ13巌で鎮西(九州太宰府)に渡 り、各地を侵略し鎮西八郎と称された人物である。のち伊豆大島に流され、都からの追い討ち船を雁股の矢で討とうとする棟 を描く。当神社の流鏑馬行事にちなみ、弓名人の絵馬を奉納することによって武芸の向上を念じたものと思われる。
6.女武者図 弘化3年(1846) 井出 立石不動尊堂(目録2)
甲冑・弓矢で身を固め髪をたらした女武者が、川辺で釣竿を手にしているのは巴御前と思われる。巴御前は平安時代の木曽 義仲の側室で、知勇にすぐれ、義仲と戦功をたてた女武者で、木曽川で幼少より釣りをしたという。この絵馬は豊漁祈願も付 加してある。右側の欠損は堂内柿の木鼻部分をカットしたもので実物は完形である。