わたしたちの郷土楢葉町 楢葉町小学校社会科教師用資料 - 045/110page
C 沿 革
天明4年(1784)伝兵衛当地において創業、現在7代目である。
徳川時代の酒造制度は、酒株と称し酒造家ごとに製造高を定め、それに応じて毎年冥加(みょうが)金を納めた。新たに始めるようには誰かの酒株を譲り受けねばならなかった。当社の創業には末続方部の酒屋の株を譲り受けたということである。
当時酒造家は近隣に大分あったようで、製品の販売は地元の限られた範囲内で行われ、製造高は僅かな量であったと思われる。酒造技術は幼稚で杜氏(とうじ)の経験による勘だけであり、一度間違えると一年かかって造った酒も全く売りものにならなくなってしまうことも度々あったようである。
原料の米は自作米や小作米を用い、精米するには金剛川の水を利用した数軒の水車が稼動しておりそれらの精米業者に依託した。
明治に入って酒株制度が廃止されて自由企業になったが、昭和13年以降統制となり新規には許可されなくなった。
6 交 通
(1) 道 路
道路は古くから経済や文化の発展には欠くことのできないものとして、その整備には力点がおかれた。最近は自動車の普及発達によって道路の整備拡充が更に一層強く要望されている。
本町では各種の町勢振興計画に基き年々改良し新設している。@ 町道の状況
参照 「ならは」資 P.26
(路線数・道路延長・舗装延長・砂利道・舗装率)