いわき市市政要覧 -032/056page

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いわき市のおいたち

●歴史●発展経過と現状

●歴史

 当地方では、太古の時代から私たちの遠い祖先にあたる人 たちが住み、狩猟や漁業など採集生活を営みながら、温暖な 気候と豊かな自然に支えられて立派な文化を築いていました。 この様子は数多くの遺跡から分かります。
 有史の時代に入り、当地方には、中央政権の国造が置かれ、 東北地方を治める拠点の一つとして重要な地区であったよう です。
 時代は、やがて武士の世となり、鎌倉、室町及び戦国時代 などを経て、近世の江戸時代へと歩むことになりますが、そ の間、11世紀の中頃から、当地方は、岩城氏が統治すること となり、現在の「いわき」市への基礎づくりをしました。
 江戸時代に入ると、磐城平藩を中心に、湯長谷藩、泉藩、 幕領として、この地は治められ、明治維新に及びます。
 明治16年には平町が発足、明治22年に町村制がしかれると、 平が正式に町制をしいたのをはじめ、小名浜、四ツ倉も町制 をしき、その他の地区は村制をしきました。その後、昭和12 年には平市が、また昭和28年に公布された町村合併促進法に よって、29年には磐城市、常磐市、内郷市が、30年には勿来 市が誕生しました。一方、町村でも遠野、小川が町制をしき、 その他の地区も合併が進み1市10町21村が、5市3町4村に なりました。昭和37年、新産業都市建設促進法の施行に伴い、 常磐地方の市町村が合併して新産都市を建設することを約し た結果、39年に指定を受け、41年10月1日に5市3町4村に 双葉郡の久之浜町と大久村を加えて合併し、ここにいわき市 が誕生しました。

●発展経過と現況

 したがって当地方は、平、磐城、勿来、常磐、内郷の旧5 市がお互いに連携を保ちながら大きな都市形態を構成し、外 部を九つの旧町村部が波状的に伸びています。
 平は、古くから城下町として、また政治、経済、産業、文 教、交通の中心地として繁栄してきました。
 内郷は、常磐炭田の発祥の地として炭鉱とともに栄え、常 磐は、常磐炭田の中心地として、また奈良時代からその名が 知られ日本で最大級の揚湯可能量を誇る温泉地として知られ ています。磐城は、小名浜港と工業・漁業のまちとして、勿 来関で有名な勿来は、海水浴場や工業のまちとして発展を続 けてきました。
 当地方の産業は、豊富な石炭資源と港、即ち、常磐炭田と 小名浜港を中心に発展してきました。石炭産業の斜陽化によっ て、一時は隆盛をきわめた鉱業地帯も現在は、工業再配置に より工業団地に変ぼうし、新しい企業が換業しています。
 石炭産業の恩恵によって発展してきたいわき湯本温泉も常 磐湯本温泉株式会社を設立して温泉事業を継続、発展させて います。
 国際貿易港として外国船や大型タンカーでにぎわいをみせ ている小名浜港は、7号ふ頭まで完成し、外国貿易コンテナ 定期航路も開設されました。
 小名浜・勿来臨海工業地内、内陸部の好間中核工業団地は 工業用水、電力、輸送、工業用地など立地条件を十分満たし、 大手企業の進出が盛んです。また、農林業経営の安定と生産 性の向上を図るため、生産基盤の整備と協業・機械化を促進。 適地適作を基調とし、生産から流通、販売まで−元化した事 業を展開しています。

地図

方位 東経 北緯 地 点 距 離
極東
極西
極南
極北
141°00’
140°34’
140°47’
140°44’
37°09’
36°59’
36°51’
37°19’
久之浜町久之浜字館ノ山地先
田人町貝泊字井出地先
勿来町九面馬の道地先
川前町小白井字芋嶋地先
東西39.00km

南北51.50km

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