須賀川市立博物館図録 俳諧摺 上 -003/113page

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序文

須賀川の俳譜(俳句)は、元禄二年(一六八九年)の 「おくのほそ道」 の芭蕉来訪によりはじめたのではなく、芭蕉を遇して七泊八日を快く過ごさせた相楽等躬をはじめとする、須賀川俳壇とも称すべきものがすでに存在していました。

 しかしながら、芭蕉がその後の須賀川俳諧に、大きな影響を及ぼすようになりました。等躬以後、須賀川の俳諧は藤井晋流、二階堂桃祖、石井雨考、市原多代女と蕉風が受け継がれ、明治時代に入り道山壮山へ、そして今日に至るまで隆盛を見ています。

 俳諧摺は、俳句に絵を添えて一枚摺にした「摺物絵」でありますが、これは江戸時代の文化・文政の頃に流行しました。当時の須賀川俳壇は、芭蕉の「おくのほそ道」の紀行日記を自分の俳誌「青かけ」に発表して注目された石井雨考や、芭蕉を敬愛して江戸へ旅し、その紀行日記「すがゞさ日記」を編した女流俳人市原多代女が、その指導者として活躍していました。

 当館所蔵の俳諧摺は、矢部保太郎氏等が収集したものですが、江戸の宗匠鈴木道彦、仙台の松窓乙二、京の宗匠桜井梅室、成田蒼文字をはじめとして、金沢、近江、上方など全国の俳人が名を連ねています。雨考、多代女を中心とした須賀川の俳人も、この俳譜摺に作品を発表し、多くの俳人と交流を重ねたことが須賀川俳譜の発展につながりました。

 本書が、須賀川の俳文学を知る一助となれば幸であります。

一九九八年十二月

     須賀川市立博物館長 猪越幸雄


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