教育福島0021号(1977年(S52)06月)-005page

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巻頭言

 

夏の思い出

 

福島県教育庁義務教育課長 塙保貞

 

出が鮮やかに脳りにうかぶ。夏休み、よく海水浴に通ったころの思い出である。

 

福島盆地を囲む山なみに夏の到来を思わせるあの白い雲がかかると、小学生当時の思い出が鮮やかに脳りにうかぶ。夏休み、よく海水浴に通ったころの思い出である。

朝のうちに自分の仕事-それは庭の草むしりや、畑の手伝いなどが主であった-を済ませ、学校の宿題を急いで仕上げると、もう心は海にとんでいる。母か、祖母の作ってくれたにぎり飯を持ち、兄や近所の先輩、同僚四、五人と連れだって出かける。いわゆるガキ大将役の先輩のあとについて四キロの道のりを歩く。ジリジリと照りつける夏の日ざしは強く、汗はダラダラと流れてくるが、とにかく先輩を中心におくれじと歩く。この道のりは小学校三年生程度の子供には相当のものであったが一刻も早く海に着きたい思いで歩いたものだった。

海水浴場に着く。今はもう廃船となって砂浜にあげられた大きな漁船-これをかつお船と呼んでいた-の上に陣どり、先輩からの指示どおりに衣服をまとめ、いっしょに海に入る。泳ぎのできない後輩に、あれこれと助言してくれる。そしてくちびるが紫色になるころ、みんなで砂浜にあがり、焼けつくような砂を体に浴びせかけて寝ころがる。

海岸の近くを走る列車が時計の代役をつとめ、「あの下り列車が行ったからお昼にしよう。」ということになる。例の廃船にもどり、また円陣を作ってにぎり飯を食べる。こんな時「あの場所はあぶない。」「あの島の近くに行ってはダメだぞ。」といった先輩の注意が出たりする。

一日、みっちり遊んで、また歩いて帰る。往路と違って体もすっかり疲れ顔もまっ赤になっての四キロは格別にきつい。こんな時、例のガキ大将の先輩は、のびそうになった後輩の荷物を持ち、おどかしたり、励ましたりしながら、帰ったものであった。

 

あの当時、両親といっしょに海水浴に行った記憶はほとんどない。いつも稲荷神社の境内でいじめたり、いじめられたりしながら遊んでいた隣近所の仲間たちといっしょだった。その仲間は小学校六年生か、せいぜい現在の中学二年生をかしら、としたものだったが今考えてみると、この生活から得たものは測り知れないものがある。

旧制中学に六年生の一割程度しか進学しなかった当時の話である。九割近い高校進学率の今とはすべてについて比較にならないことはじゅうぶん承知しているものの、今の子供の心あわただしい生活を見ているとなにか貴重な経験をおろぬいているように思われてならない。これは子供たちの成長にとってたいへん不幸なことである。過去はすべて美化されるといわれるけれども、かつて自分たちが経験したあの素朴で、貴重な日々を新しい現在の視点から整理して、もう一度、子供たちにもどしてやりたいと思うこと切なるものがある。

 

 

 


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