教育福島0052号(1980年(S55)07月)-005page
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巻頭言
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価値のあるライセンス
西村嘉太郎
世はあげてライセンスの時代である。長い年期を入れてどこに出しても恥ずかしくない腕を磨き、難関といわれる資格試験に合格して取得したものから、かなり怪しげなもの、いったい果たしてそんなものがいるのかと思うようなものまである。しかしともかく、多くのライセンス取得に共通していることは、一定の順序に従ったスクーリングを終了し、それが技能にかかわる場合、必要とされるフィールド・ワークを修めてはじめて手にすることができるということである。
教育とはそもそも一種の先行投資であるから、業を終え、資格の認定を得ることを第一の目的とするのはよいが、資格そのものは単なる証書ではなく、確かな内容を身につけた証明として授与されるものでなければならない。すこし乱暴ないい方をすれば、本物の運転免許証だけが発行されているのなら、この世に交通事故はないはずなのだ。ドライビングのできない人にもライセンスが取れるからいけないのである。
英語教員の免許状についても同じようなことがいえよう。中・高の一・二級あわせて毎年約二万人が免許状の取得申請をするそうであるが、そのうち何人が本当に英語そのものを教えられるのだろうか。フィールド・ワークを課さない日本の英語教員免許状の発行は、全く条件を異にしているにもかかわらず、それを必須としているデンマ−ク、西ドイツなどの英語教師にとって全く信じられぬ驚異なのである。現在の英語教育に対する世の強い風当たりは、実はこのことから生じているといっても過言ではない。
そこでどうだろうか。英語教員の免許状の取得には、英語を母語とする国の大学で、九単位(ふつう三コース)をB以上の成績で持ち帰ることを必要条件にしてみては。ちかごろ海外研修旅行と称して、かなり多くの現場の先生がたが短期の出張に出かける。それはそれなりにも意義もあろうが、これと一週三時間三回講義に出席してノートをとり、ターム・ペーハーを提出し、二度の試験を受けてBの成績を取るのとはわけがちがう。大学に在学する期間中ならいつでもいいのであって、本当に学力の準備があれば、サマー・セッションに出かけただけで取得を完了し、他学部の学生と同時に卒業も可能である。そのためには、文部省・地方自治体はこれらの学生への長期ローンを用意しなければならない。しかし全員希望したとしても試算では約五億円で、それもやがて回収可能なのだからファンドだけ出し合えばよい。とにかくこうすればドライビングを習ってから免許状を取ろうとする意欲のある人間だけが挑戦して、現在のように、英語についての知識を積み重ねただけのペーパー・ドライバーは、存在し得なくなると思うのだが。
(にしむらよしたろう 福大教授)
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