教育福島0099号(1985年(S60)02月)-051page

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博物館だより−−−−−

 

旧大法院の版木

 

−−会津坂下町−−

 

大黒像に飯豊山と彫られた版木

大黒像に飯豊山と彫られた版木

 

湯殿山・疱瘡祭の版木

湯殿山・疱瘡祭の版木

 

今回は博物館展示資料収隻調査で得られた資料のうち、旧大法院所蔵の版木について紹介する。

大法院は、河沼郡会津坂下町勝大にあり、現当主の三代前までは修験として活動していた。同院には一三五点の古文書と五四点の版木が残されている。その古文書によれば吉祥院と記されたものも多くあり、大法院と吉祥院の二つの院号を代々名のってきたことがわかる。また、現在は五四点の版木の多くはほとんど使用されていないが、その版木の中には「疱瘡祭之札大法院」とか「湯殿山御札敬白」あるいは飯豊山社や大黒天の像に飯豊山と彫られたものなどがある。これらの版木をみると、民衆の病気や疫病の流行などにあたって、医者の少なかった当時において修験が病気治癒のための加持・祈祷を行っていたこと、さらに、湯殿山、飯豊山などへの山岳登拝にあたってその先達役を果たしたり、精進潔斎や修行の指導をしていたことがわかる。こうした点については同院に残された「火難消滅法役行者三種密法」等の文書からもうかがい知ることができる。

写真の版本や文書を通して知ることのできる大法院の性格は、近世において村落に定着し加持、祈祷などの病気治癒の儀礼や山岳登拝の先導などを幸心に宗教活動を行った里修験の存在形態をよく示している。

当博物館ではこれらの資料を総合展示「近世」の庶民の信仰で展示しようと考えている。

 

編集後記

 

昭和五十九年度も間もなく終わろうとしています。今年度も「教育福島」を御愛読いただき誠にありがとうございました。最初に計画していました編集方針を完全に実現することができず、いくつかのミスもおかし、関係各位、読者諸氏に迷惑をおかけしたこともあったのではないかと思います。

それにしましても、一年間というのは短かくもあり、長くもあります。取材で各地の学校等を訪づれ、今の教育の困難さ、そして教師に求められることがらの多さに驚ろき、考えさせられます。そしてそれらは一年間という区切りのあることではなく、毎年くりかえされる切実さをもっています。

間もなく卒業式、高校入試、そして入学式と年度をしめくくる行事が続きます。先生方の御健康と御努力を願わずにいられません。

 

ところで昭和六十年度の本誌の編集計画がきまりました。本誌四十三ぺージにその内容が掲載されておりますが、今年度にひき続き、六十年度も御協力のほどよろしくお願いします。また読者の皆様の御意見等ありましたらお知らせ下さい。「読んで役に立ち、見て楽しい」広報誌づくりをめざしたいと考えております。

 

一年間ありがとうございました。次年度もよろしくお願いします。

 

教育福島

’85 2・3月号

Vol.99 昭和60年2月25日発行

■発行所 福島県教育委員会

■発行者 村岡房之助

■印刷 福島印刷センター

 

 

 


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