教育福島0147号(1990年(H02)06月)-055page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

教育福島0147号(1990年(H02)06月)-055page


教育・イン・ザ・ワールド

−アメリカで学ぶ日本人の子ども−

国際化社会にふさわしい教育の話題をシリーズで提供する「教育・イン・ザ・ワールド」。

第二回の今月号では、アメリカ合衆国で学ぶ日本人の子どもの教育について紹介します。レポートは、この四月までの三年間、シカゴ市の日本人学校で教鞭を執っておられた栗城磐先生からいただきました。

小・中学校時代は社会人としての基礎を培う

現在、シカゴ日本人学校には、全日校約三百二十名、補習校約千二百名の児童生徒が学んでおります。北米には全日校が二校、ニューヨークとシカゴにあり、補習校は各地に約五十校あります。補習校とは、ウィークデーは現地校に学び、土曜日だけ国語を中心に日本の勉強をしたいという子女たちが通ってくるところです。

アメリカでは、幼稚園から義務教育が始まります。小・中学校時代の児童生徒は、勉学への自覚がさしてなく、むしろ、地域や教会のボランティア活動、ガールスカウト、スポーツクラブ等を通して多方面にわたって自分の能力を試し体力の増強に努め、社会人としての基礎を培っているようです。

本格的な勉強に打ち込むのは、高校以降のことであり、旺盛な体力にものを言わせ、猛烈に勉強します。自宅の隣にも大学生がいましたが、彼の場合、定期レポート提出前などは、週に十冊以上の本を読むこともざらで、相当苦労して単位をとっているようでした。

くつろいだ雰囲気の教室で絵の学習

くつろいだ雰囲気の教室で絵の学習

ふところの深いアメリカの教育

渡米当時、私どもには、五歳と一歳になる長女と長男がおりました。しばらくしてから長女を二か月程勤務校近くの私立幼稚園に入れてみましたが、英語がまったく理解できず、た、だ子どもたちと遊ぶだけの毎日でした。

九月からが新学期なので、近所の公立小学校に入学し、土曜日には、補習校に通うようになりました。

この学校では、幸いなことに、第二外国語として英語を使用する児童に対しては、専門の先生が個別レッスンという形で、週二回、英語を教えるというシステム(ESL)がありました。たとえ、対象となる児童が一人であっても、学校側は誠意をもって対処してくれました。感謝の気持ちを持つと同時に、アメリカの教育のふところの深さを感じました。

また、一年生になる頃からだんだん友達も増え、ガールスカウトや地域のクラブ活動にも顔を出し始めました。あわせて、各種のパーーティーやキャンプ等に参加することで、彼女の行動範囲も大幅に広がり、二年生になってからESLの授業も必要なくなったことを担任から告げられ、親として一安心したことを、つい先日のように覚えています。しかし、現地にとけこむにしたがって目に見えて日本語力が低下し始めるという新たな心配が出きてきたのは、皮肉なことです。バイリンガル(二か国語)教育の困難さを十分味わったわけですが、帰国して間もないので今後の経過を見守るしかありません。この経験を、何らかの形で、今の生徒たちに還元していきたいと思います。

「みんな仲間」笑顔が輝く子どもたち

「みんな仲間」笑顔が輝く子どもたち

栗城磐 一九八七年四月から一九九〇年三月までアメリカ合衆国シカゴ日本人学校に勤務。一九九〇年四月から会津高田町立第一中学校勤務(教諭)


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。