教育福島0196号(1996年(H08)07月)-004page

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博物館ノート

浦上玉堂「青山弾琴図」

絹本墨画淡彩一幅

浦上玉堂は江戸時代後期の琴士・画家、備前岡山藩の武士であっが40才頃から琴・詩・書・画の文事をたしなみ、50才で脱藩、翌年音楽の才を買われ会津藩に招かれる。当時会津藩では猪苗代の土津神社の神楽復興を企図しており、ここに玉堂と会津の関係が生じた。また、この時玉堂に同道した次子秋琴は以後会津藩士として取り立てられ、会津に残る。江戸時代文人画のみならず、日本絵画史上、重要な画家の一人である玉堂の当地来訪は、福島の文化史を彩っている。玉堂の会津来訪は脱藩後間もない不安定な時期であり、会津藩の庇護は結果的に後の玉堂の大成を助けることになった。

本図は玉堂の40才代の作例。晩年の画風の独自なスタイルはいまだ現れていないが、初期の代表作である「南山寿巻」に通じる筆法が認められ、図上の自賛の書体はすでに玉堂のスタイルが確立している。玉堂の会津滞在時の作例は現在のところ発見されていないが、本図はその当時に近い40才代のまれな作例である。

もとは画帖であったものを掛軸としたのであろう。


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