教育福島0207号(1997年(H09)11月)-006page

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提言

『和の心』の大切さ

 

福島県文化功労賞受賞者

 

福島県文化功労賞受賞者

安齋リウ

 

私と琴との出会いは小学校時代に溯ります。母親の縁から今は亡き小林みさお先生に師事しました。まだ物心つかないうちのお稽古事ですから、生涯にわたる心の糧となるとは思いもせずにお習いしておりました。

女学校二年生までは琴一筋でしたが、三・四年生は部活動にも励みました。テニス部に所属し青春を楽しんだことが夢のように思い出されます。共に汗した方との友情はいまでも続いております。本年、母校も百周年を迎えました。私が通学しておりました頃の服装は縞の木綿の着物に袴でございました。三年生になり、初めて洋服になりました。社会全体が貧しく、質素を重んじた風潮もあり、靴下も木綿でした。中には絹の靴下で通学するオシャレな方もあり、昇降口で木綿の靴下に履きかえていたようでした。

昭和四年に卒業し、小林先生の活動のお手伝いをしておりましたが、それも修業でした。昭和八年に憧れと夢を持って上京し、故宮城道雄先生の門下生となりました。爾来、直門として六十五年の歳月を数えるまでになりました。その間、先生は勿論のこと、御宗家故宮城喜代子先生、現在の宮城会会長の宮城数江先生には筆舌には尽くしがたい御指導を賜りました。宮城道雄先生は、日本独自の音楽として継承されております格調高い古典芸術としての「箏曲」には厳格な姿勢で臨まれておいででした。私には、他のお弟子さんがいない時を見計らい御指導くださいました。それは、発声のことでした。福島育ちの私はどうしても東北訛りが抜け切れず、歌に支障があるからでした。先生のお人柄とお心遣いが身に泌み、お稽古にも熱が入りました。

昭和十三年、大阪「松坂屋」に舞踊部門と箏曲部門の教室が開設されました。出張稽古の舞踊部門は、西崎みどり先生が御担当、箏曲部門は私が担当いたしました。その他に代稽古が修業で、東京の演舞場では劇中劇の一場面でし

 

 

 


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