教育福島0216号(1999年(H11)01月)-050page
博物館ノート
蒲生家伝来資料
「世にも人にも知られたる老武者」の実像
蒲生源左衛門尉郷成(がもうげんざえもんのじょうさとなり)という武将の名をご存知でしょうか。会津若松では、街の中心に今も残る甲賀町口郭門(こうがまちぐちかくもん)の石垣に、この人の名が刻まれていることで知られています。
豊臣秀吉が全国制覇を成し遂げた際、若松城主となった蒲生氏郷に従い、新たに領地となった守山城・三春城などの城主を任された蒲生家の重臣のひとりです。軍記物には、かずかずの合戦で手柄をたてたことが克明に記されています。また江戸幕府の公式記録である『徳川実記(とくがわじっき)』という書物では、晩年の郷成を「世にも人にも知られたる老武者」と「評しています。
こうした書物の世界での郷成像の大きさに比べて、その墓と伝える五輪塔が須賀川の長禄寺に残されている他は、郷成ゆかりのまとまった資料はこれまで知られていませんでした。最近、この郷成の家系に伝わった古文書・書籍・武具などの資料十数点が県立博物館に寄贈されました。また、これを契機に蒲生郷成の足跡をたどる「調査が現在も進行中です。
若松城甲賀町口郭門の刻銘
火事頭巾
蒲生源左衛門尉郷成あて豊臣秀吉朱印状