ふるさと探訪
県指定重要文化財(工芸品)
どうせいわにぐち いっこう
銅製鰐口 一口
所在地 南会津郡只見町大字只見字雨堤一〇三九番地
所有者 只見町
鰐口は、仏堂や神殿の前に掛け、つるした綱で打ち鳴らす道具です。本鰐口は、もと本山派の修験(吉祥院)である同町の五十嵐家に代々伝わり、同家の祈祷場に掛けて使用されたもので、只見町に寄贈されました。
本鰐口は、左右最大二四・六センチメートル、上下最大二三・二センチメートル、厚さ八・四センチメートルで、両面の撞座区は一重の圏線のみで文様が無く、内区と外区を分ける圏線は三重で、また面の縁を廻らす外圏線は二重であるなど、室町時代の鰐口の特色をよく備えています。
片面には銘があり、それにより大檀那平氏女恵勝が奉納したこと、応仁元年(一四六七)に制作されたことなどがわかります。
本県で発見された鰐□では八番目に古いもので、本鰐口以前に制作されたものはすべて国指定(一口)と県指定(六口)になっています。
室町期鰐口の特色を持ち、作年代の近い田島町の鷲神社の鰐口と共通の特色を持つ本鰐口は、本県における室町期の貴重な在銘鰐口です。
県指定重要文化財(建造物)ちゃしつりんかく いっとう
茶室麟閣 一棟
所在地 会津若松市追手町一番一号
所有者 森川容佑(ようすけ)
管理責任者 会津若松市
茶室麟閣は、三畳台目を中心として南北に棟を通す「麟閣」の部分と、その北に接続して東西に棟を通す六畳の「鎖の問」から構成されています。
「麟閣」は三畳台目の西側の躙口(にじりぐち)の並びに相伴席を配置し、北東隅に水屋を設け、赤松の床柱を持つ台目床が付属しています。三畳台目に相伴席を付帯させたこの形式の茶室は、武家茶道の創始者である古田織部好みとして、慶長初め頃(一六〇〇年頃)から開始されました。
また、「鎖の間」は、他の部屋と廊下等で接続するための前室だったと考えられ、現在は背面に廊下、北側に床と床柱が付帯しています。
この茶室は、はじめ蒲生氏郷の意を受け、千利休の子千少庵の手により建てられたと伝えられます。若松城破却に先だって、石州流怡渓派(せきしゅうりゅういけいは)の会津における家元であった指月庵宗久(しげつあんそうきゅう)(森川善兵衛)が、城内に残っていた茶室の払い下げを受け、屋敷内に自費で移築しました。
その後、、平成元年度に会津若松市により若松城跡地内のほぼ旧位置に移築され、公開が行われています。