教育福島0222号(1999年(H11)10月号)-042/52page

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県文化功労賞、教育・文化関係

表彰者決まる



本宿  尚 氏 渡部 憲司 氏に文化功労賞


平成十一年度の県文化功労賞受賞者に体育部門(社会体育領域)の本宿 尚氏と、芸術部門(美術領域)の渡部憲司氏が決まりました。

県教育委員会は、九月十六日内に定例教育委員会の席で本年度の県文化功労者及び教育・文化関係表彰者を決定しました。これを受けて同日の十六時十五分から杉原陸夫教育長が記者会見を行い、文化功労賞受賞者二名、教育・文化関係功労者三十四名、教育・文化功績顕著な十三団体・施設及び永年勤続表彰者三百七十七名を決定しました。

本県の教育・文化の振興発展に貢献し、その功績が顕著であるとして表彰を受ける方々は別掲のとおりです。なお、表彰式は来る十一月三日(水)の文化の日に県文化センターにおいて挙行されます。



文化功労賞受賞者


福島県の文化の向上に著しい業績を残された個人に授与される福島県文化功労賞の受賞者として、本宿尚氏(七十四歳・伊達郡国見町)、渡部憲司氏(七十一歳・喜多方市)が選ばれました。両氏の略歴と業績は下記に記したとおりです。


体育部門 (社会体育)

本宿 尚 (ほんしゅく たかし)

本宿 尚 (ほんしゅく たかし)

【主な功績】

1 福島県公認スポーツドクター第一号として、本県スポーツ界にスポーツ医・科学に関する研究と実践の必要性を説き、今日広く行われているトレーニング相談、医事相談、メディカルチェックの実施を定着させた。また、福島県医師会の重鎮として、さらに福島県バスケットボール協会長や財団法人福島県体育協会副会長として、医師会とスポーツ界の架け橋となるとともに、現在も、財団法人福島県体育協会のスポーツ医・科学委員会委員長として、本県スポーツの振興と競技力向上に努めている。

2 本県バスケットボールの競技力向上と普及振興のため、技術・医科学両面から指導に当たってきたが、特に、昭和五十九年度からは福島県バスケットボール協会長として、組織の充実と競技力向上に尽力してきた。

また、平成七年の「ふくしま国体」では、その開催準備と競技力向上の諸条件の整備に努力し、大会を成功に導いた。

さらに、スポーツが県民に活力を与える原動力の一つであることをあらゆる機会を捉えて啓発するなど、本県におけるスポーツの地位向上に努めている。

3 その他 ・昭和六十一年・労働大臣表彰、昭和六十二年・藍綬褒章、平成七年・勲四等旭日小綬章を受章 ・著書「赤ひげは存在するか」


芸術部門 (美術)

渡部 憲司 (わたなべ けんじ)

渡部 憲司 (わたなべ けんじ)

【主な功績】

1 昭和三十五年より、喜多方市を中心に美術教育作品研究、実技研修のグループ「水曜会」を設立し、毎週水曜日に作品研究及びデッサンによる実技研修を二十余年にわたり継続した。その後、各地に研究グループができ、水曜会の役目を終え発展的解消をした。

2 会津の彫塑界は、有本雨石氏亡き後、会津展等への出品もなくなったが、その後、喜多方を中心に彫塑実技習得の意欲が高まり、「会津彫塑会」を発足させ、以後、顧問として指導している。

3 昭和五十六年より会津展の巡回展を喜多方で開催し、以後、会津の各町村での開催を定着させた。

4 昭和六十一年より「会津出身美術家展」を開催し、一九九六年までの七回開催した。現在は、自らその設立に尽力した喜多方市美術館が建設されたことにより、市美術館で実施されている。

5 福島県美術協会副会長、会津美術協会長、喜多方美術協会副会長、会津卯月会長として、会員の資質向上のために活躍している。また、各ジャンルの美術活動に参加している人々の融和発展向上のため尽力している。

6 その他

 ・県展、会津展、東北選抜展等への出品歴は五十年に及び、日本水彩真野賞等、十九回の賞を受けている。

 ・平成五年に福島県文化振興基金顕彰者、平成七年に福島県芸術功労賞を受けた。


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