福島県教育センター所報ふくしま No.20(S50/1975.3) -025/026page

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あとがき

本年度所報も当初の計画どおり,年5回発行することができ,本号はその最終号である。

 所報編集の基本方針として「読みやすく,親しみやすく,現場実践に直結するように」との目標のもとに編集したつもりであるが,紙数に限りもあり,十分に意をつくせなかった点をお詫びしたい。

 幸い,年々多くの先生方に手にされ,御要望,御批判柱ども御寄せいただき,厚く御礼を申しあげたい。

 ところで,所報,研究紀要,教育史などの編集には,整理・校閲という仕事がつきものだ。校閲は誤植を防止するという大切注舞台裏の仕事なのだが,これが大へん厄介なもので,古来,誤植につきまとうトラブルは尽きたい。かつて,福地桜痴をして,論語の「後世可畏」をもじって「校正おそるべし」といわしめたのも,むべなるかたであろう。

 たとえば・ある審議会で,事務局が審議経過を発表する段になり,ある目,N氏が,事情により2時間遅刻して参加したくだりで,「N氏,情事により2時間遅刻」早と発表されたため,校閲子とその上司は,とんだお叱りを受ける羽目にたった。活字入れ換えの校正記号はωだが,「事情」と校閲で訂正しなかったためにひどい目にあった訳である。また「本県に初の女性校長誕生」というところで,「女性」の「女」が校閲の段階で脱落したまま「本県に初の性校長誕生」となってしまったら大へんである。戦時中は特に皇室関係ではこの点厳重で,たとえば,天皇陛下を天皇陸下と誤植したために,全部刷り直しをさせられたこともあるという。従って新聞杜等では「天皇陛下」の活字は4字一本にしていたといわれる。

 校閲の見落とし誤植は,喜劇をも生み出している。たとえば,ジェームズー世は高名な学者54人に命じて,英語訳聖書の統一をはかり,8年の歳月をかけて完成したが,誤植が多く「彼女」となるところが「彼」となっていたので「彼聖書」と呼ばれ,更に1631年版のものは,モーゼの十戒の第七戒「汝姦淫をなすべからず」とするところを「NOT」を落としてしまったので,「汝姦淫すべし」となってしまい,「姦淫聖書」と呼ばれた。刊行直後にこの校閲ミスが発見され,全部数(1000部)を回収して焼却したはずのものが,254年後の1885年にこれが発見され,その後つぎつぎと6部も見つかって,現在,世界の「奇こう本」となっているという。まさしく「後世,校正ともにおそるべし」というところであろう。

 戦時中に出た,阿部知二の小説「冬の宿」では,主人公の大学生が借りた下宿の間取りは6畳だったのに,後半にこれが4畳半になってしまっている。最近のものでは,エラリイ・クイーンのスリラー小説で,弾丸が被害者の左こめかみから斜めに肉体に入ったように描写しているが,これが後で右こめかみから貫通したように書かれている。これなどは,原著者の錯誤によるミスか,或は,後者の場合には更に,翻訳者のミスか,又は校閲のミスであろうが,これはやはり校閲者の責任に属するものであろう。

 ある新聞の家庭版に1年程前,校閲の方の偉い人が「校正のおそろしさ」について書いておられるが,この文章の中に誤植が2箇所あった。初めは酔狂かと思ったが,笑えない喜劇であろう。

 ともあれ,この「あとがき」にも誤植があって,とんだ「笑いもの」にもなりかねない。用心!用心!

次年度においても,更に本年度の反省を生かし,努カしたいと思うので,いっそうの御支援,御鞭達を御願いいたしたい。

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