福島県教育センター所報ふくしま No.76(S61/1986.6) -022/038page

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<随  想>

ネ ク タ イ 文 化 論

学校経営部  近 藤 博 之

 M紙の記者とネクタイ文化論を交わしたことがある。
 ネクタイの着用率が、文化実態をとらえる指標になるのではないかという仮説である。
 M紙の情報網を通して、全国県庁所在地のネクタイ着用率を調べてみると、比較しにくい文化実態の特性が検証できるのではないかというのが、私の構想であった。
 M紙の記者は、ユニークな発想だというだけで話をポツにしたところをみると、どうやらまともな文化論ではなかったようである。

 筑波大学附属小学校のK先生は、全国公開の授業のときでもオープンシャツである。子供たちからは、よく似合ってかっこいいと言われ、ご本人も、これぞ授業ルックだと笑っておられる。
 東京で中学校の教師をしている友人も、ノーネクタイ派である。中学生から見ると、背広にネクタイの先生スタイルはヤポったくて、感性が合わないのだという。

 ヨーロッパでも、アメリカでも、ノーネクタイ派が多かった。校長先生、教頭先生はもちろんのこと、日本からの教育視察団を迎える教育長さんまでも、ノーネクタイ派が多かった。
 センスのいいスカーフを、オープンシャツのえりもとからのぞかせて、トータルファッションを楽しんでおられるようであった。

 私には、オープンシャツで研究公開の授業をすることも、研究会に参加することもできそうにない。背広にネクタイの画一派である。
 時と場に応じて、ふさわしい服装をすることは当然のことである。スポーツウェアもタウンウェアの市民権を確得してきたので、スポーツウェアで授業することも不自然ではなくなってきた。ネクタイを外して造形作品の処理をしている姿などは美しい。
 ただ、研究公開や会議のときにオープンシャツで参加することには、私にはひっかかりが残る。

〔ネクタイ着用率〕
ネクタイ着用率

 全国県庁所在地のネクタイ着用率は、どのようになっているのであろうか。そこから法則性を求めることができるのであろうか。指標にビッグファッションを加えると、どのような文化実態をとらえることができるのであろうか。
 ネクタイ文化論の基点には、価値観の問題がある。価値観は、実体験を基盤に形成されることが多いので変換することは大変難しい。
 時代に対応して変換していくことは必要である。人間としての基本に立って、価値観を変換していくことは、自己教育カの一つであろうと思われる。


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