福島県教育センター所報ふくしま No.84(S62/1987.12) -034/038page

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研修者の感想

教育研究法講座を受講して

県立会津高等学校教諭    廣瀬 渉

 昨年の今頃は、報告書の締切を目前にし、目のまわる忙しさであった。三年担任で、進路係でもあったため、国公立大受験者の二次出願の指導にも追われていたのである。皮肉なことに、共通一次試験受験前の二次出願という受験スケジュールはこの年限りで終ってしまった。振り返ってみると、忙しかったが、本当に充実した年であった。

 5月の中頃、事前研究の資料「教育研究のすすめ方」がセンターより送られてきた。また、数学科担当であった、水野・村上先生からも早々と資料を送って頂いた。それを十分に読み、自分なりにまとめて、研究主題を決めて、6月の前期の研修に望んだわけであるが、結果は再検討を要するということであった。欲ばりすぎて、研究主題の焦点がぼやけてしまったのである。また、問題点の把握も甘かった。なかなか決まらず、何にしようか非常に迷った。同室の受講生も苦労しているようであり、共に、夜は12時頃までやったり、朝は4時頃から起きて取り組むというがんばりようであった。この時期が最も苦労した時であった。

 「教育研究法は実践的性格をもつ、ということから、日頃、いかに生徒の数学の力を伸ばそうかと考えていたことに、今回の研究主題を何とか結びつけようと努力した。現場を、そして生徒を抜きにした研究は考えられない。再度、実態調査を行い、問題点を分析し、また、水野・村上両先生の忙しい中、直接ご指導をうけて、研究主題を決めることが出来たときは、本当に嬉しかったことを思い出す。この研究主題によって、あとの研究のすじ道が決まってくるので、非常に大切なところである。

 研究主題が決定したので、先の見通しがもてるようになり、研究の主趣、仮説と進んでいった。仮説については、いかに余分なところは削り、簡潔にまとめるかで悩んだ。仮説は、最後に検証出来るものでなければいけない。また、仮説がしっかりしていれば、研究の目標や内容も自然と導き出されてくるのである。この段階で、語句の使い方についての厳しさも痛感した。

 生徒の実態をしり、問題点・原因をつかみ、仮説によって授業を続けることにより、生徒の状態がよく見えるようになり、また、生徒自らも積極的に学習に取り組むようになり、その効果が出てきていることがわかった。方向さえ、間違わなければ、時間と手間をかけたならかけただけ、必ず効果が出てくるのである。

 教育研究法の講座は、その手法を学ぶことにあるという。この講座を通して、今まで知らなかった多くの理論、方法などを学んだ。現場で、生徒を相手にして、自分なりに努力しているつもりではいるが、どうしても一人よがりになってしまう面がある。目を外に向けて、自己研鑽しながら、生徒に対して、よりよい指導をしていかなくてはならない。

 この講座中に、センターの諸先生方、そして大学の先生方の講義を拝聴する機会を得たことも、大きな収穫であった。また、瀬上小学校における授業研究も非常に参考になった。それぞれの先生方の、我々に対する指導に大きな熱意が感じられ、身の引き締まる思いであった。また、この講座全般にわたって、お世話頂いた、近藤・松本両先生には、きめ細かく、親切にご指導頂き、本当に気持よく受講出来たことを感謝しております。

 いろいろと障害はあったが、ようやく1月の研究報告会にたどりつくことが出来、恥ずかしながらもささやかな成果を報告した。主幹の佐藤先生や折笠所長より一人づつ講評を頂いた。ご指導でゲルトルートも読んでみた。

 本当に充実した一年であった。受講生同士や教官を交えての懇親会、そして最後の反省会、楽しい想い出も一杯ある。諸先生方に感謝しつつ、これからもしっかり研修していかなくてはならないと、自分を戒めているこの頃である。

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