福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.125(H10/1998.11) -038/042page
随 想 「三」 の 魅 カ
教育センター教育経営部主任指導主事 堀 川 利 夫
運動会が終わって数日後、「万歳三唱ってなあに、万歳ってなぜ三回やるの?」との質問を受けた。好奇心の強い子供は、よくこのような質問をするので返答に困る場合がある。「万歳は、運動会がみんなで楽しくできたことを喜び、今後もみんなで力を合わせて立派な学校にしていきましょうという意味をこめたお祝いの言葉で、三回繰り返すのは昔からそうなっているのだよ」と答えておいたが、なぜ三回なのかは気になっていた。
ある時、こんなことを説明している本に出会った。中国に源を発する東洋の哲学である陰陽思想では、一、三、五、七、九のような奇数を陽数、二、四、六、八、十のような偶数を陰数としている。そして陽数の重なる日を特に天地に気が充満するよい日としていた。三月三日、五月五日、七月七日、九月九日等の節句は、陰陽思想の洗礼を受けているとのことである。また、「三」は特別の位置を占め、交じり気のない純粋な陽数の「一」と純粋な陰数の「二」がめでたく結合した吉数であり、陰陽の調和が最高にとれたものと考えられていた。万歳を三回繰り返すことには、このような東洋の哲学的背景があったのではないだろうか。
実は、私はどちらかといえば「二」が好きである。それは生年月日に「二」が4つも並んでいること、割り算では2で割ればすっきり割り切れる心地よさなどからであると思う。しかし、祝いごとには、「三」「五」「七」の奇数がよく使われていることは気がついていたし、「三」という数を活用している例が身近に多いことも知っていた。ことわざにも、「三つ子の魂百までも」とあるし、子供の成長を祝う「七五三」も行われている。最近行われた友人の激励会は、「三三七拍子」でめでたくしめた。私たち日本人の心の中には、無意識のうちに東洋の哲学が脈々と流れ、「三」はめでたくもあり、実に調子のよい、心に安定をもたらす魅力的な数になっているようである。
昔、先輩の先生から「何かお話をする時には内容が多くあっても3つに括ると整理しやすいし、相手によく理解してもらえるものだ」との指導を受けたことがある。その時は、「ああ、そんなものかな」と聞いていたが、今考えてみるとすぱらしい実践であると思っている。子どもへの話でも保護者会での話でも、この魅力的な「三」を活用できるであろう。
日ごろの教育活動の中にも、「三」はよく使われている。教育目標は3つあることが多いし授業における指導過程も一般的には「導入・展開・終末」の3つである。東洋哲学などと言うと、いかにも古くさい、うさんくさいと思われるかも知れない。しかし、「三」の考え、「三」の効用をこれだけ身近に感じるということは、私たちの精神構造そのものが根底で東洋哲学に支えられているということかも知れない。何事も「三」で片付けることはできないが、「三」の魅力は相当なものと考える。