福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.128(H11/1999.11) -001/042page

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巻頭言

適期 

福島県高等学校長協会長
福島県立磐城高等学校長  大友錬一

福島県高等学校長協会長・福島県立磐城高等学校長 大友錬一

庭の片隅に、黒松や五葉松、サツキ等丹精して育てている盆栽が10鉢ほどある。松は樹齢50年を超えており、枝振りもなかなかの風格で、毎年、磐城高校の入学式や卒業式には式場に飾っている。また、サツキはこれよりも古く、初夏に咲く大輪の花は美しい。いずれも、朝夕の散水をはじめ、施肥、剪定など(一部は専門家の手を煩わすが)年間を通し手間がかかる。手間がかかる分、完成した樹形の重厚さや花の彩りには心がなごむ。

樹木は、その種類により特性があり、管理方法に差異があるように、人にも個性があり、異なる資質・能力がある。その点で盆栽(樹木)を育てることと、人を育てることには共通する点が多い。

共通点の一つ目は、特質(個性)を見定めた上でそれぞれに合わせて、適期に適切な対応が必要であるということである。黒松の剪定は秋が適期であり、この時期に整枝すると最も満足すべき発芽がみられるし、サツキは花後に剪定しないと翌年美しい花芽はつけない。人も知・徳・体の全てにわたり適期に適切な指導を行なうべきである。人としての倫理観の基本は何歳ごろに身につけるのか、読書の楽しさを知り必要性を自覚するのはどの時期か、自ら進んで教科学習に取り組む姿勢はどの学年ごろに確立するのか等々…。

二つ目には、将来の姿を展望し、それに向かって計画的に育てるべきと言うことである。松類は、一度枝を切り落としたら同じ個所から再び発芽させることは極めて難しい。従って、成長過程において伸ばす枝、切る枝を間違えることのできない樹木であり、幼木から確かな計画性のもとに剪定する必要がある。その点では難しい盆栽である。難しいがゆえに価値は高い。

子どもの育て方については、森隆夫お茶の水女子大学名誉教授の書物が興味深い。氏は、著書「生涯発達教育論」(ぎょうせい)の中で「人は10歳、木は1丈」という表現を用いて子どもの教育を説いている。「人は10歳」とは、人間性を含め、その子の知能がどれ程伸長するかは10歳(小4)頃に見当がつくということである。「木は1丈」とは、樹木も1丈(約3m)に成長した頃にその質がわかるという意味であり、若木のときに基本的な手入れを怠ってはならないし、計画的に育てよということである。

ところで、子どもがこの世に生を受けて、最初の教育者は両親であり、最初の教育機関は家庭であるが、その後、幼・小・中・高校と教育を受けてゆく。高校を卒業するまでの18年間に5つの教育機関を経ることになる。この間、それぞれの教育機関相互の間に、子ども一人一人の将来を見据えた一貫性のある、計画的な教育がなされているであろうか。

学校教育法42条「高校の目標」の一つに「個性に応じて、将来の進路を決定させ」と謳われているのをはじめ、教育書に「個性に応じて」との記載は数えきれない。しかし、日本の学校教育の歴史を鑑みるに、個性や能力に応じた教育について、改善を加えるべき点は多々あるように私は思う。幼・小・中・高の連携を密にしながら、個性や能力の伸展を図り知・徳・体の調和のとれた人間を育てるための努力が今、私達に求められているのである。

風格のある、美しい盆栽を見るにつけ、このことについて実感ひとしおの昨今である。


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