平成13・14年度版 ふるさと郡山の歴史 -029/041page

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郡山空襲について調べよう


【リサーチ】

1.当時の郡山市は「軍都」に指定されていました。その名残りが「軍用道路」(采女通り)として今も残っています。 「軍用道路」は国のお金で作られましたが、現在の安積橋−上亀田線と金山橋−開成山の道路です。 地図で確認してみよう。

地図

地図

2.郡山は1945年4月12日に初めて空襲を受け、その後、7月29日(駅前周辺、日東紡福久山工場、中島航空機会社付近 :現在のパラマウント工場)8月8、9日(金屋の海軍航空隊)の計4回の空襲を受けました。 空襲を受けた地域を地図で確認してみよう。

《死亡箇所》
●保土ヶ谷化学工場(204人)
●日東紡福久山工場(92人)
●東北振興アルミ工場(47人)
●浜津鉄工場(4人)
●郡山駅(11人)
●方八町(7人)
●横塚(22人)
●市内(5人)
●航空隊(5人)
●不明(33人)
▲4月12日の空襲による死者数<郡山市によると

3.4月12日の空襲では、勤労動員で保土ヶ谷化学工場で働いていた高校生が26名も亡くなっています。  (現在の白河旭航行14人、郡山商業高校6人、安積高校5人、安積黎明高校1人)。  今も絶えない戦争(紛争)について考えてみましょう。

【フィールドワーク】
○身近な人から戦争体験を聞く
○「郡山戦災史」
○中学生広島・長崎派遣事業報告書(毎年10月下旬に市福祉センターで発表会)


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郡山市の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。