わたしたちの郷土 西会津町 -000-04/122page

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国指定重要文化財(くにしていじゅうようぶんかざい)

出ヶ原・円満寺観音堂
出ヶ原・円満寺観音堂


解説

  西会津町下谷(したたに)出ヶ原(いづがはら)にある円満寺(えんまんじ)の観音堂(かんのんどう)は、室町時代(むろまちじだい)にできた三方間仏堂(さんほうまぶつどう)で、様式(ようしき)は唐様(からよう) 建築(けんちく)です。

 会津地方には、この建築様式が多く全国から注目(ちゅうもく)されていますが、その中でもこの観音堂はよくまとめられているという点 で有名(ゆうめい)になっています。

解説

 蒲生氏郷(がもううじさと)(1556〜95)は、安土桃山時代(あづちももやまじだい)の文武の道に通じた武将(ぶしょう)で、1590年(天正(てんしょう)18年)に会津の若松城(鶴ヶ城(つるがじょう))主(しゅ)となり、漆器産業(しっきさんぎょう)をさかんにしたとも伝えられています。

 その子秀行(ひでゆき)は領内巡視(りょうないじゅんし)のとき西光寺(さいこうじ)に因縁(いんねん)を感じ、父氏郷の尊霊(そんれい)を祭(まつ)りました。

 一時、寺領(じリよう)を没収(ぼっしゅう)されましたが、三代忠郷(たださと)の諸老臣(しょろうしん)が、この氏郷の画像(がぞう)と和歌一首(わかいっしゅ)を贈(おく)ったと伝えられています。現在(げんざい)、境内(けいだい)に氏郷の御影堂(みえいどう )があります。

上野尻(かみのじり)酉光寺・紙本着色蒲生氏郷像(しほんちゃくしょくがもううじさとぞう)
上野尻(かみのじり)酉光寺・紙本着色蒲生氏郷像(しほんちゃくしょくがもううじさとぞう)



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