三春駒と三春(1/2)

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三春駒と三春
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三春は遠く平安時代のはじめ、坂上田村麻呂統制の歴史から、馬とのつながりが強く残っている町です。
坂上田村麻呂
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延暦14年、坂上田村麻呂が統制に赴いた時のこと、この地方の豪勇の賊、大多鬼丸が大滝根山の石窟に籠もって頑強に抵抗し、容易に打ち破る事が出来ませんでした。兵士達も遠路の進軍に疲れ果て困っていた時、どこからともなく鞍馬100頭が田村麻呂の陣営に現れ、そのため、さしもの強敵大多鬼丸を滅ぼすことが出来ました。この鞍馬こそ、田村麻呂が京都を発ったとき、清水寺の開祖、延鎮和尚が仏像を刻んだ余財で作ったもので、将軍の鎧櫃に入れて、戦勝を祈願して送ったものでした。
高柴デコ屋敷
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その翌日、一頭の木馬がひどく汗して高柴村の、今のデコ屋敷に辿り来たのを見た村人、杵阿弥(きねあや)が、高僧延鎮の作であることを知り、残りの99頭を作って100頭としました。しかし三年程経って、その一頭の行方は分からなくなったといいます。

子育木馬
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後に、杵阿弥の子孫がこの木馬を模作して村の子供達に与えたところ、誰一人として病気にかかる者とてなく、立派に成長するようになったので、これを子育木馬と呼ぶようになったという事です。
奉納
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この子供の成長を祈った子育木馬と共に、南部、白河と並ぶ馬産地三春では、子馬の成育と馬屋の安全を祈って、神仏への木馬や絵馬奉納が盛んでした。
日本三駒
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この木馬が後に三春駒として人々に愛玩され、青森の八幡駒、宮城の木下駒と共に日本三駒と称されています。

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三春町歴史民俗資料館の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。