河野広中と自由民権運動(1/2)

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河野広中
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資料館公園が一隅に立つ銅像は、我が国の代表的自由民権運動の指導者、河野広中です。西の高知と並んで東の自由民権運動発祥の地、三春は河野広中を始め、多くの民権家を輩出して、県内の運動の拠点として活躍し、また東北および全国の運動にも大きな影響を与えました。自由民権運動とは、明治の初め、国会の開設、憲法の制定などの要求を掲げて、全国的に展開された国民運動で、時の藩閥政府に対決して身命を賭して戦いました。
土佐との緊密な関係
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河野広中は既に、戊辰の役で官軍参謀として来県した土佐藩、板垣退助との面識を持ち、後二度にわたる土佐行きを通じて、西の民権発祥の地、土佐との緊密な関係が生まれたのです。
三師社
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河野は、土佐の立志社に呼応して、明治9年石川に石陽社、明治11年三春に三師社を同志と共に設立し、運動の進展に努めました。

先憂社
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その後三師社は先憂社に改められ、民権青年育成の学塾、正道館の設立や、世論誌、三陽雑誌の発行など、明治14、15年は運動が最高潮に達しました。
対決
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河野が若干32歳で県会議長に推された明治15年、県令三島通庸との決定的対決を迎えました。会津三方道路の強行に対する農民の決起。喜多方事件に端を発した大弾圧で、県内の民権家幹部、1000名を根刮ぎ検挙するという暴挙で運動を抑圧しようとした事件です。その主要な幹部、57名が東京高等法院に送られましたが、三春地方だけで24名もの民権家が含まれています。
加波山事件
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難を逃れ、また高知に遊学していた青年民権家たちが決起した加波山事件は明治17年のことで、主要なメンバーは三春の青年達でした。

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