民友ニュース(県民ニュース) No.177(2/3)

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福島県はすすむ 保原町1
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西に吾妻連峰、東に阿武隈の山々に囲まれて広がる信達平野のほぼ中央、人口およそ2万3,000の保原町は、県都福島の後背地として発展してきました。毎年夏になると福島駅に現れるピーチガール。「福島名産モモです。はい、美味しいですよ。やっこい?。はい、これオオクボですから。甘いですよ。」保原町を含む県北地方一帯は、モモ、ナシ、リンゴなどの果物の産地として全国に知られています。
福島県はすすむ 保原町2
時間: 54秒
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大正15年、養蚕に代わって始められたモモの栽培が始まりで、今では全農家の8割に及び、年間7,000トンがホールドチェーンの開発によって、遠く北海道を初め関東、関西まで出荷されています。栽培面積全国一の陰には、品質改良やタカづくりの方法など、県の技術指導と相まってたゆまぬ努力があったのです。だが、傷みやすいモモはその出荷方法が大きな悩みの種となっています。1日4,000ケースを処理する共同選果場、完全機械化による選果方法は大きな変革です。
福島県はすすむ 保原町3
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産地と直結する缶詰工場、大規模な食品加工工場が操業し、農業と工業が手を結んだ姿は、これからの保原町を象徴するようです。

福島県はすすむ 保原町4
時間: 1分11秒
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江戸時代から保原を中心とするこの地方は、養蚕の盛んな所でした。明治以後、製糸は近代日本の輸出のホープとして発展し、文字通り保原町はこの辺りの産業経済の中心として栄えたのです。今も農家の副業として行われている真綿がけ、親から子へ、子から孫へと昔ながらの技法を伝えて今に引き継がれてきた生活の知恵は、年産3億5,000万に上り、この地方の農家にとって大きな収入の道となっています。入金真綿とは、その昔小判を入れるのに便利なところからきています。ここで生産された真綿は、結城紬の原料として、そのほとんどが出荷されています。紬の需要が多くなると共に、生産にも拍車がかかっています。
福島県はすすむ 保原町5
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福島から保原、梁川、掛田を走る電車は、昔軽便鉄道と呼ばれ、交通機関の少なかった当時の重要な交通機関でした。
福島県はすすむ 保原町6
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保原町は、またニット産業の町としても知られています。県下の総生産量の約60パーセント60億円をあげ、梁川町と合わせ横網メリヤスでは全国一の産地となっています。バルキー調のざっくりした編み方はここで生まれたのです。かつて製糸産業が盛んだった素地が、この地をニット産業のメッカにしたといえましょう。しかし、約200の工場の大部分は内職的家内工業であり、機械化の遅れや労働力不足など色々な悩みを抱えています。そこで県ではこうした問題に対処するために巡回指導を強化し、さらにニット業界の構造改善などを計画しています。

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