●せんそうがあったころ
せんそうのころ
はたらき手はせんそうに行き、人々には苦しい生活がつづきました。都会の小学生は親とはなれてそかいしました。
福島は、そのうけいれ地でした。食料をぞうさんするために、道ばたに豆やあずきを作ったり、学校の校庭を畑にしたりしたところもありました。食料不足は、せんそうが終わってからもつづきました。
▲米のかわりにジャガイモの配給
▲都会の小学生がお寺などにそかいした(飯坂・天王寺)
福島民報社刊「ふくしま100年」より(上・下)
▲バケツリレーで消火くんれん
▲せん死した人をかなしくむかえることもありました
せんそうがあったころの話やそかいについておとしよりにきいてみましょう。
近くにくうしゅうなどはなかったか調べてみましょう。