社会科「ふくしま」-041/059page

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(8)きょう土を開く
●いろいろな用水路
 用水路は、今から300年以上も前(江戸時代のはじめごろ)に多く作られています。
 むかしは、米を作るのに必要な水がたりず、田にできない土地が多かったので、いろんな人が川の水をひく川水路づくりに力をそそぎました。(山の多い市の南東部はため池がつくられています。)
 それまでは、となりの村と、田に引く水がほしいため争いがたえなかったし(水争い)、いくつもの村がおたがいに水争いをするさわぎになることも多かったのです。
 用水路(せき)を作ると、下流の村の川の水が少なくなるという問題や、新しく作る田(新田)がふえると、今までの田に水がかけられなくなるという争いもよくおきました。
写真の番号は地図の番号のところで見ることができます。
地図

▲いのめぜきの碑 1)
▲いのめぜきの碑 1)

▲矢野目ぜきの碑 2)
▲矢野目ぜきの碑 2)

▲瀬上ぜきの流れ 3)
▲瀬上ぜきの流れ 3)

▲佐倉用水取り入れ口 4)
▲佐倉用水取り入れ口 4)

▲東根ぜきトンネルかいりょう工事のようす 5)
▲東根ぜきトンネルかいりょう工事のようす 5)


むかしは、ぜい金を米でおさめていました。米を作ること、水田をひらくことが人々のねがいでした。水をひき、田を作るためのくふうが、いたるところにみられます。身近なところでさがしてみましょう。

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