社会科「ふくしま」-046/059page

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●きょう土にひびくメロディー「古関裕而」
▲1909年福島市大町に生まれる▲福島商業高校のころ▲東京に上京のころ▲晩年のころ(1989年死去)
▲1909年福島市大町に生まれる▲福島商業高校のころ▲東京に上京のころ▲晩年のころ(1989年死去)
 古関裕而は、福島に生まれた音楽家です。福島市大町の「喜多三呉服店」の子として生まれ、福島商業高校のころ音楽家をめざしたといわれます。音符がよめなかった裕而は、たいへんな苦労のすえに、音符を読んだり書いたりできるようになり、束京に出て、どりょくしながら作曲をしました。こどものころにすごした、山々にかこまれ吾妻山や信夫山のみえる福島盆地が大すきだったといいます。
▲生まれた家(当時)
▲生まれた家(当時)

▲愛用したハーモニカとしきぼう
▲愛用したハーモニカとしきぼう

▼音楽家へのゆめは高検時代から
▼音楽家へのゆめは高検時代から

▲裕而が集めて研究した楽ふ
▲裕而が集めて研究した楽ふ

 古関裕而は、歌よう曲をはじめいろいろなしゅるいの曲をつくりました。福島市の小・中・高校の校歌をはじめ、大学の応えん歌や「オリンピックマーチ」などをつくり、愛唱されています。また、NHKのラジオドラマの音楽を作曲して、せんそうのあとのしずんだ気持ちを明るくふるいたたせてくれました。そのころ、子どももおとなも、ラジオから流れる裕而の曲を口ずさんでラジオドラマをきいたものです。記念の音楽会が3年ごとにひらかれるようになり、市内の小学生も出演します。
 古関裕而は、福島県のほこりでもあるのです。


きょう土には文化を高めたり、広めた人々がたくさんいます。
その人々をたたえるたてものや記念品もあります。さがしてみましょう。
記念館や資料館をたずねてしらべてみましょう。

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