かわまた -042/056page

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(2)動力織機(どうりょくしょっき)

 大橋 哲彌
▲大橋兄弟式力織機(りきしょっき)
発明人  大橋 哲彌(てつや)
大橋 兵蔵
▲大橋兄弟製作所主
大橋 兵蔵(へいぞう)

・わたしたちの川俣町は,はたおりの町として広く名が知られています。明治10年ころは羽二重(はぶたえ)がさかんでした。今は,新しいおりものがさかんにおり出されていますが,それは昔の人の努力があったからです。

大橋式力織機
▲大橋式力織機(りきしょっき)
力織機工場の様子
▲力織機(りきしょっき)工場の様子(大正末期〜昭和初期)
自動化された織物工場
▲自動化された織物工場(昭和30年〜40年頃)

昔は,手ではたおりの機械を動かしていました。水車や発動機(はつどうき)を使ってのはたおりはむずかしく,みんなに使われるまでになりませんでした。そこで考え出されたのが大橋式織機(力織機/りきしょっき)です。この機械のおかげで,仕事が早くできるようになりました。


(3)朝河貫一(あさかわかんいち)

(3)朝河貫一(あさかわかんいち)       
・朝河貫一は,川俣町とは大変関係の深い有名な歴史学者です。若いうちからアメリカに渡り研究にはげみました。今から約60年前,日本とアメリカとの関係が悪くなった時,なんとか戦争をさけようと努力しました。
・1873年,安達郡二本松に生まれました。お父さんが立子山小学校の先生となったため,立子山のお寺,天正寺に移り住みました。1879年,立子山小学校に入学しました。
1886年に,川俣高等小学校に転校しました。当時伊達郡内で優秀な学校であった川俣高等小学校で勉強したかったということでした。そして翌年は福島尋常(じんじよう)中学校(現安積高校)に入学しました。
・英単語を覚えるため,英語の辞書を暗記し,覚えるたびにそのページを食べてその表紙をうずめたという「朝河桜」の伝説を残したことは有名です。

   −阿部善雄著「最後の日本人」−


大橋式力織機を織物展示館に行って見てみよう。

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