川俣町の文化財 -011/029page
た。特に川俣近辺の村々の窮状は言語に絶した。これに対し政府は救済の手を差しのべるところか,4年1月上旬には県役人を川俣に出張させて,未進年貢の督促,しかも即刻全納を強制執行した。この無暴な役人の仕打ちに激怒した農民は,団結して対抗しついには発展して福島県庁を襲うという大事件となった。これが明治4年2月の川俣近傍騒擾事件といわれている。この事件の関係者として数多い農民が逮捕されたが,特に松沢村高橋元蔵,鶴田村高野久四郎の両名は,首謀者と目されて死罪に処せられている。
高橋元蔵の墓は,鶴沢字西ノ内(通称昭和公園西手)の旧墓地にあり,碑文は下記の通りである。
明治四未十二月十九日
南無妙法蓮華経苦元 要慎
君カ代ハ昔しも今も
かわらねどかヽる 高 橋 元 蔵
さいごハ浮世なるらん辞世の和歌が刻まれ,高さ76cm程の白味勝ちの石である。
高野久四郎の墓は,鶴沢字大原の実家の向い柿ノ窪墓地にあり, 碑の表面中央に「讃 得歎清信士」の法名とその右側に「明治四辛未十二月十九日」と刻まれている。