川俣町の文化財 -021/029page

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川俣 春日神社算額

〔所在地〕 川俣町字宮前37番地 春日神社

川俣春日神社 算 額
川俣春日神社 算 額 

 和算を文字を使う点竄術(記号代数)にまで到達させた関孝和は,名実ともに和算の出発点となった。その関流を主体としていくつかの流派が生まれ和算全盛時代が訪れた。達南地方でも幕末から明治にかけて多くの弟子を持った佐藤作十正方(川俣),斎藤利七(大綱木),菅野豊蔵(西福沢),河野松右衛門(飯野町),などが現れた。彼らの師であった三春町の佐久間杢之丞とその子纉は,建部賢弘の系譜を継ぐ最上流の始祖会田安明(山形)の高弟渡辺 一(二本松藩士)の弟子であった。和算は天文,特に暦と関連しさらに田畑の測量に応用されながらも,日本における古典的な芸事にみられる遊芸の道として発達をしてきたもののようであった。和算には秘儀奥伝を尊ぶ風習もあったが,その成果を額(算額)にして神仏にささげ,その加護を願うとともに世人の批判を求める風習もあった。この算額は和算研究の重要な資料の一つであるが,町内にもいくつかあったと思われるものは散逸し,現存しているものは春日神社に掲額されている斎藤利七社中のものを残すのみで貴重なものである。これは明治13年,利七が師の纉から初伝を許されたのを記念して,多くの弟子たちによって奉掲されたものである。

 

   川俣町の和算家

      佐藤作十正方
        岩代国伊達郡川又仲町東屋
        生没年月日不詳

 作十は天保11年,佐久間杢之丞に入門,幕末の「信達算者番付」に伊達方前頭筆頭に「川俣,作十」と記されている。作十は天保15年,江戸芝愛宕山愛宕神社に算額を奉掲している。また三春御幡町六地蔵堂(嘉永3年),奥野堺之明神(万延元年)の算額には各一問の算題を付している。


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