川俣町の文化財 -022/029page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]
 

      斎藤利七致明
        伊達郡大綱木村字爼板倉45番地
        文政9年(1826)1月25日生
        明治32年(1899)8月4日没
        算軒徳誉術了居士 享年74歳

 利七は大綱木村字荒町佐藤庄二郎の子として生まれ,嘉永五年,同村弥吉の許へ妻子共に養子相続し斎藤利七と改名した。初め作十正方に和算を学び後に元治元年,39歳の時に佐久間纉に入門,明治13年に初伝,程なく二伝を許されている。彼は纉の高弟33名のうちの一人といわれた。明治22年,門人たちにより利七の徳を讃え,御霊神社参道人口左手に彼の寿蔵碑が建てられている。彼の算額には春日神社算額の他に小綱木村八幡神社算額(慶応2年),木幡山弁財天算額(慶応2年),木幡村隠津島神社算額(明治17年)がある。

斎藤利七の和算指南許状(巻物)
斎藤利七の和算指南許状(巻物) 

 

      菅野豊蔵
        伊達郡西福沢村字下平25番地
        嘉永2年(1849)4月5日生
        大正11年(1922)年4月24日没
        實性庵豊寿相霊 享年74歳

 豊蔵は父甚兵衛,母イネの二男として生まれ,明治15年,立子山村字栃久保菅野ふじの許へ後夫として入籍している。彼は初め利七に和算を学び明治13年に利七門人として佐久間纉に入門,後年自ら庸軒派算法菅野社中を結成した。彼の算額には門人たちにより奉掲された飯野町小手神社算額(明治19年),立子山村八幡神社算額(明治20年)がある。

 

卯 香 女 の 絵 馬

〔所在地〕 川俣町飯坂字諏訪山1番地 諏訪神社

 川俣には現在,250点に及ぷ絵馬が保存されている。なかでも川俣春日神社の発句絵馬は安


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は川俣町教育委員会に帰属します。
川俣町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。