ふるさと川俣の名山 -029/104page

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● 概 略

 川俣町と東和町にまたがる「口太山」は、登山道や山頂が整備されていて四季を通して多くの登山客に親しまれている。特に山頂には大きな樹木が少なく、展望に優れているほか、5月には山頂のつつじが見事に咲き誇る。

 「うつくしまふくしま百名山」に選ばれた「口太山」は、口太山愛好会立看板を設置し登山道の整備や、山開きを行っている。

 大綱木側から登り始めて間もなく、杉林に入るとそこは国有林である。そして土砂の流出を防ぐための保安林にもなっている。

 山頂には三等三角点がある。

● 名前の由来

 長徳3年(997年)藤原氏一族の藤原中納言実友が地方巡視の為陸奥に下った。岩瀬郡鉾衝(ほこつき)宮(長沼町鉾衝神社)にたどり着き、ここで一夜を過ごした時のこと、一人の老翁に阿古屋の松(出羽国阿古屋にある老松で、枕詞に使われる当時の名所)は、何処にありやと問うたところ、老翁は我家の近くなりと案内に立った。

 併しゆけども行けども、山また山の深山幽谷に踏み入ってしまった。その時老翁は忽然と変じて老猿となり、一声高くうそぶくや瓦石を投じて危害を加えんとした。

 その時中納言、今はこれまでと「みちのくの阿古屋の松を尋ねわび、身は朽人となるぞ悲しき」(後この歌により口太山と称す)と詠じたところ、不思議や一頭の白鹿現われ、群猿をけちらし一條の藤蔓を口にし中納言に渡し、その端を口にして先導し漸くに人里(小綱木村)に逃れ出した。

(川俣史談)

山頂に咲く「ヤマツツジ」
山頂に咲く「ヤマツツジ」


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