ふるさと川俣の名山 -044/104page
経塚の北端には磐座とするにふさわしい3つに裂けた巨岩があり、奈良金剛山頂の蔵王権現湧出岩にみたてられているようで、この立石遺跡から土師器と宋銭が出土し、これは経塚造営に先行する祭祀遺跡と解される。これらの出土品と経塚から、平安時代末期に2期ないし3期にわたり造営されたことが理解できる。経塚は末法時になると経典が消滅してしまうので、弥勒菩薩が出世する後代まで仏法を伝えようと経典を埋納した施設で、天台系寺院に経塚の造営が多い。
この他に栗和田経塚は木幡山西麓の峯続き突端に位置し、西田山経塚は同じく北麓にある。 (「川俣の文化財」)
川俣町の経塚で最古のものは、大綱木分に属する木幡山頂北嶺にある蔵王経塚である。遺物は終戦直後村境争いの際出土したものと見られ、現在奈良国立博物館保管である。藤原時代(12世紀)の石製外筒と、銅板製経筒で、銅経筒の中に紙本経文の塊8個がある。法華経八巻であろう。(川俣町史)
羽山信仰
羽山信仰は、東国、なかでも奥羽に多くみられる信仰である。別に麓山・葉山・端山などの字が当てられるように、本山(もとやま)(奥山)に対する端山で、祖霊が宿る山とされ、農作神としても信仰されてきた。
川俣地方にも羽山があり、「羽山ごもり」が行われていた。女人禁制の神事で、厳重な禊斎を重ねたというこの信仰は、出羽三山の修験信仰とも結びついて、きわめて山岳信仰の色濃いものとして伝承されてきたとされている。(川俣町史)