わたしたちの町 桑折 - 052/053page
当時の工事の様子を表わした絵
むかしは今のように機械がありませんでしたから、堰をつくるためにたいへんな苦労や努力をしてきました。山にトンネルをほったり、かたい岩をけずったり、木をたおして取りのぞいたりするのも「くわ」や「のみ」「かなづち」などのかんたんな道具をつかい、おもに人の力だけですすめてきました。
西根堰にも次のような工事の大変なところがありました。「堅刈の難所(かたがりのなんしょ)」
岩がかたくてトンネルがほれず、川岸のがけのかべをほってといをかけ、水を通したところで、今でもといを支えたくいのあとが岩に残っています。「鼻毛(はなげ)の随道(ずいどう)」
やわらかい所は「つるはし」で、かたい所は「のみ」と「かなづち」でほった短いトンネル。鼻のあなににたトンネルに草や木の根が毛のようにたれているので、この地を「鼻毛」とよぶようになったといわれています。