わたしたちの町桑折-050/057page

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3.きょう土を開いた人々
(1)西根堰
西根堰はどこにあるのだろうかいつ、だれが中心となって、どのようにつくられたのだろう

( 1)用水をつかって水をひく
むかし、伊達郡は、いくつもの村々に分れていました。そして、あぶくま川を境にして、東の方(伊達の一部、保原、梁川)を「東根郷」といい西の方(飯坂、桑折、国見、五十沢、大枝)を「西根郷」とよんでいました。
西根郷は、土地そのものはこえていましたが、あぶくま川より土地が高く、水をひくことができませんでした。そのため、水の便が悪く、水不足のため、たえず農民はひでりの害に苦しみ、水田の開発もおくれていました。
そのころ西根郷は、上杉氏の領地になっていましたが、1600年関が原の戦いがあり、上杉氏が豊臣側についたために勝者である徳川方からにらまれ、領地は120万石から30万石にへらされてしまいました。しかし上杉氏は家臣をへらさなかったため、藩は大変苦しくなり、いっそう開こんにはげまなければならなくなりま

イラスト

イラスト

古河善兵衛重吉・佐藤新右衛門家忠
古河善兵衛重吉
佐藤新右衛門家忠

現在の下堰の取入口
現在の下堰の取入口(飯坂町)

かんがいされた広々とした水田
かんがいされた広々とした水田(伊達崎地区)


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