した。
1618年、西根郷の村役人佐藤新右衛門が中心となんて湯野のすり上川から、桑折、伊達崎までの約20kmの用水路をひきました。この用水が下堰です。16か村の農民の水不足の不安がなくなりましたが、もともと水田だったところなので、新しい田を開くことにはなりませんでした。
そこで、もっと上流の穴原から水をひき五十沢のほうまで流すことを考えました。この仕事の中心になったのが古河善兵衛と佐藤新右衛門の2人です。
穴原の方は両岸が岩のため、水の通り道をつくるのはよういなことではありませんでした。岩がかたくてトンネルがほれない所は、川岸のがけのかべをほってといをかけ水が流れるようにしたり、ひくくなるところは、今のサイフォンの仕組を取り入れたりしながら工事を進めていきました。この用水路は上堰と呼ばれ、約8年の年月をへて1632年に完成しました。
はなげのずいどう
かたがりの難所(飯坂町湯野)
西根堰関係年表
年 できごと 1577
1598
1600
1604
〜
1609
1618
1624
1625
1632
1633
1637
1736
1751
1847
1884
1960
1963
1967古河善兵衛生まれる。
上杉氏、会津若松城主となる。(120万石)
関ヶ原の戦い。上杉氏、米沢へ移封され30万石にへらされる。領内に開こんの命令を出す。
「堰」をつくる工事が始まる。
村役人、佐藤新右衛門が「下堰」をつくる工事を始める。
古河善兵衛、佐藤新右衛門が「上堰」をつくる計画を立て、上杉氏のゆるしをえる。
「上堰」の工事が始まる。
「上堰」が完成する。
上堰取水口に古河善兵衛の業績をたたえる碑がたてられる。
古河善兵衛、佐藤新右衛門ともに9月に死亡。
福島市康善寺境内に、善兵衛の墓がたてられた。
湯野村に善兵衛をたたえる碑がたてられる。
摺上川の水位が下がり、水の取水口を500m上流の現在の位置にうつす。
西根郷2,058戸の住民によって西根神社がたてられる。
西根堰の改修工事が始まる。
藤倉ダムが完成する。
改修工事が終わる。(全工費8億円)