伊達町町勢要覧 -024/030page

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歴史

歴史の足跡が残る町。

永い時をかけて育まれてきた豊穣の地、伊達。
こんもりと繁る愛宕山や、
悠然と流れる阿武隈川と、ともに重ねてきた歴史を
先人の遺産が語りかけてきます。
時代時代の面影が色濃く漂う史跡、文化財の数々。
この地で生きた人々の熱き想いが刻まれて、今なお
私たちの胸を深く打つのです。

信達二郡村絵図屏風
 江戸初期の信夫・伊達両郡を描いた屏風。風俗絵図の手法が施され、制作時期は延宝年間(1673〜1680年)ごろと見られています。奥州道中、阿武隈川を中心にして広がる村落は 金箔のひらがなで記されています。
信達二郡村絵図屏風

光臺寺絹本著色仏涅槃図(ねはんず)
 享保6(1721)年、冨田満七家から光臺寺へ寄進された絵画。江戸中期の狩野派の絵仏師の作と見られています。この作品は、「釈迦出山図」及びその関係文書(冨田弘家所蔵)と対となって、当時の仏教文化を今に伝えています。
光臺寺絹本著色仏涅槃図(ねはんず)

藁座(わらだ)回状
 慶応2(1866)年、天王市の日に信達両郡の農民による世直し一揆が起こり、各地で打ち壊しが行われました。この回状は、物価引下げなどを要求し団結した農民の連判状です。
藁座(わらだ)回状

種繭(たねまゆ)標本額
 宝暦2(1752)年から安政5(1858)年のおよそ百年間、佐藤家が、この地域で栄えていた繭の成果を後世に伝えようと、種繭を保存。全3額あるこの標本は、明治41年福島市で開かれた東北地方産業共進会で、日本最古の繭標本に認定されました。
種繭(たねまゆ)標本額


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