町勢要覧(合併前の伊達町) -001/051page

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 1 概 要

1 地 勢

伊達町は福島県の北端東経140度15分北緯37度49分の位置に有り標高62.07米となっている。町は76の小字よりなり土地概ね平坦にして、東は阿武隈川を隔てゝ伏黒村に相対し、南は摺上川を境に福島市に、西は温泉郷飯坂町に接し北は桑折町に連る。

第4号国道は町のやゝ中央を南北に貫いて当町中心街を東西に横断する県道に交叉して仙台方面に至る。

国鉄東北本線は町の西端を南北に走り又福島電鉄社線は当町を起点として福島市を始め県北主要地飯坂、保原、梁川、掛田方面に通じるとともに同社バス線も福島市を始発として国道により当町を通過桑折、国見両町に至る等交通要路の中心地である。

又県北当地方灌漑用水の根源である摺上川は奥羽山脈にその源を発して当町の南端を流れ阿武隈川に合流して当町東面に沿って北流宮城県に入り太平洋に注ぐ。

2 沿 革

当町は、昔暮子房坊と称して西根郷に属した。もとは長倉と岡の2村に分かれていたが明治9年6月15日両村が合併して長岡村となった。

旧長倉村は鎌倉時代の頃国司又は鎮守府将軍の治下にあったが寛文4年より延宝6年まで9ヶ年間徳川幕府の直轄となり延宝7年より天保2年まで4ヶ年間福島藩主中務大輔忠国の所領に編入せられたが天和2年忠国封を播摩に移されたので再び徳川幕府の直領になった。その後安永4年に至って仙台藩主陸奥守重村の所領となり寛政元年三度徳川幕府に隷属した。

旧岡村は長倉村と同じく鎌倉時代の頃まで国司又は鎮守府将軍の配下にあったが寛文4年徳川幕府の直轄となった。その後貞享3年より元禄の頃までは堀田下総守正仲の所領となったが元禄13年福島藩主板倉甲斐守重寛の統治となり数年ののち徳川幕府の直領となった。

明治4年7月廃藩置県になるや長倉村は福島県に、岡村は刈田県に編入されたが同年11月2日両村二本松県となり更に同月13日に福島県と改称され現在に至った。

明治5年名主制度の廃止に伴い区会所政治となり同年6月伊達地方を二大区に分けて2名の郡長2名の準郡長の下に9つの小区を設け戸長を配して統治した。

明治7年行政改革によりまたまた郡内を4区に分けられ岡、長倉両村は藤田に置かれた第4区会所に属した。

更に明治8年12月郡の改正が行はれて両村は桑折区会所に属し各村に戸長一名を置きその下に什長があり村を治


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