伊達町指定文化財-003/007page

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絵画・彫刻
1.光台寺絹本著色仏涅槃図(一幅)
−伏黒字北屋敷55光台寺蔵−
光台寺絹本著色仏涅槃図(一幅)
享保6年(1721)冨田満七家が光台寺に寄進した絵画で、江戸時代の中期の狩野派に属する絵仏師の作とみられる。
紙中縦218cm横148cm
なお、伏黒字北屋敷49-1冨田弘家所蔵の「釈迦出山図」及び関係文書と対になっている。(昭56.2.18指定)

2.福巌寺不動明王(一幅)
−箱崎字山岸2福巌寺蔵−
不動明王の絵は、浪の上に描かれ、右手に剣を、左手に綱を持つ、中世の作品といわれる。(昭56.2.18指定)

3.福巌寺両界曼陀羅(一幅)
-箱崎字山岸2福巌寺蔵-
曼陀羅は、胎蔵界と金剛界の二幅からなる。江戸時代中期の作といわれる。裏に明治17年法印祐諦代表具換と記されている。(昭56.2.18指定)

4.光台寺妙法蓮華経絵説(一幅)
-伏黒字北屋敷55光台寺蔵-
明治27年松浦角三郎家が光台寺に寄進した絵画で、南無妙法連華経の教えを描いている。(昭56.2.18指定)


工芸品
5.鍛子水引(一括)
−伊達町字舘ノ内20 佐藤昭市蔵−
享保21年(1736)宝寿寺観音堂が、江戸芝明神境内で出開帳の折、薩摩御守殿 竹姫から寄進された織物全4枚である。なお三十三観音の掛軸を含む。(昭56.2.18指定)

6.福巌寺六地蔵
−箱崎字山岸2福巌寺境内−
福巌寺法印亮誉の代、宝暦年間(1750〜60年代)の作。石塔の高さ3m、六面に地蔵尊が彫られている。(昭47.3.13指定)

7.福巖寺宝篋印塔
−箱崎字山岸2福巌寺境内−
福巖寺宝篋印塔
福巌寺法印亮誉の代、宝暦13年(1763)につくられた。願主小野六衛門、石工信州(長野県)中村北原三左衛門の作で石造物として価値が高い。(昭56.2.18指定)

書跡・典書
8.小野隆庵一代記
−伏黒字観音前9-1 小野トシミ蔵−
小野隆庵は、正徳3年(1713)伏黒小野市左衛門常定の六男に生れ、仙台・江戸で医学を学び、39歳桑折に開業した漢方学者。漢学・詩文・俳譜に通じ、隆庵採取の薬草標本は東京科学博物館に蔵されている。
「一代記」は隆庵自筆本で履歴・研究歴・見聞録があり、貴重な資料である。
縦22cm・横15cm・表紙とも54枚(昭56.2.18指定)

9.冨田洋々亭著作物(一括)
−伏黒字舘ノ内23冨田以孝蔵−
冨田洋々亭は、天明元年(1781)伏黒に生れ万延元年(1860)に没した漢学儒学者。俳諧狂歌の宗匠として知られその派を「竹派」という。「著作物」の中には洋々亭が師事した儒学者熊坂台州や磐谷の書も含まれ四百余冊がある。(昭56.2.18指定)

10.臨史軒和歌屏風(一双)
−伊達町字鍛治屋川18-8吉田太一蔵−
菊田臨史軒は、寛政6年(1765)岡村に生れた。長じて本居大平門の国学者歌人瀬上の内池永年に師事して「臨史軒薄墨・久々能舎翁」等と号し、岡村を中心に農民層に俳言皆を広め、一派を「臨雄派」といった。この屏風は、臨史軒81歳の時、吉田惣吉家に贈ったもので春・夏の詠歌を大書したものである。縦174cm、横372cm六曲一双(昭58.5.11指定)


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